徒然草を読んでいると、「それそれ、そういう事ってあるよね」とか、「そうそう、それを自分も言いたかった」などと、しみじみ感じさせてくれる場面に出会います。読者にそう感じさせる理由は、やはり兼好法師が持つ鋭い人間観察眼にあります。
その観察眼は、人間関係の間合いにも及びました。私たちは人との関わり合いの中で暮らしているのですが、距離が近すぎたら五月蠅(うるさ)く思われ(思い)、遠すぎたら冷たく感じられて(感じて)しまうのですから、程良い距離の取り方くらい難しいものはありません。
無遠慮に近寄れば嫌われ、そうかといって遠いままでは仲良くなれないという中で、どこまで間合いを詰めたら良いのか、常に悩みながら私たちは暮らしているわけです。その間合いを考える上で、一つのヒントとなる話が第三十七段に出ています。
親しい間柄の相手に改まった態度を示せるということと、まだ親しくない関係の相手に打ち解けた話題を出せるということの双方に、その人の魅力が現れ出るという話です。人間通ならではの兼好法師の文章を見ていきましょう。
《徒然草:第三十七段》
「朝晩、心の隔ても無く慣れ親しんだ人が、何かの折りに、こちらに気兼ねをし、改まった態度を取っているのを見ると、「今さらそうまでしなくても」などと言う人もあるに違いないけれども、やはり実直で上品な人なのだなあと思われる。
(それとは反対に)親しくない人が、打ち解けた事などを言っているのは、これもまた良いものだと深く心引かれよう。」
※原文のキーワード
朝晩…「朝夕」、何かの折りに…「ともある時」、こちらに気兼ねをし…「われに心おき」、改まった態度…「ひきつくろへるさま」、今さらそうまでしなくても…「今さらかくやは」、あるにちがいないけれども…「ありぬべけれど」、やはり…「なほ」、実直で…「げにげにしく」、上品な人…「よき人」、親しくない人…「うとき人」、深く心引かれよう…「思ひつきぬべし」(続く)