其の七 客が去って、すぐさまドアロックを掛けるようでは不粋極まる

人との交流において、お迎えの恭(うやうや)しさは勿論大事ですが、お見送りの丁寧さも忘れてはなりません。出会う時よりも、別れ際の態度にこそ人格が現れるわけで、そこにわざとらしくない自然な残心を込められるかどうかです。

現代においても、きちんと残心の籠もった見送りの出来る人がおります。お客様が次の角を曲がるか、通り過ぎるところまで見送ることを礼儀とするなど、ちゃんとしたお店ほど残心が出来ているものです。客としても、店の人の残心を背中に感じますから、今一度振り返ってお辞儀をすることになります。

ところが、何かと時間に追われる現代では、なかなかこの残心が難しくなっています。別れしなの挨拶をして客人が玄関を出た途端、ドアがバタンと閉められ、ドアロックの音まで客に聞かれてしまうといったことが多いのではないでしょうか。丁寧なのは残心ではなく施錠のほうです。防犯に気を緩められない昨今ですから、それも仕方無いのかも知れませんが、兼好法師の美意識からすれば残念窮まり無いということになるでしょう。

兼好法師は述べました。「すぐに掛け金を掛けて室内に籠もってしまったならば、実に残念なことであっただろう」と。妻戸という両開きの板戸を閉めるときに使うのが掛け金ですが、それをすぐさま掛けてしまうようでは本当に不粋です。女主人は、今少し妻戸を押し開けて月を愛でるようにしながら、去ってゆく人を見送ったのです。

このお見送りは、わざわざ表に出て為されたものではありません。客たちが振り返って、こちらに気付くかどうかは分からないのですから。女主人は、あくまで残心として去りゆく客を偲んだのでした。

兼好法師は「こういう事は、ただ日頃のたしなみによるものだろう」と感動しました。普段どれくらい美意識を持って暮らしているかによって、こうした残心の豊かさを、予期せぬ来訪者に対しても表すことが出来るのです。本当に惜しいことに、その女主人は「間もなく亡くなった」のだそうです。人の命の儚さから、兼好法師は益々女主人の奥ゆかしさを感じ入ったのでした。(続く)