No.91 方向が明確であるほど、再生力が旺盛に働く

思わぬ災難や苦労が、誰の人生でも起こり得る

次に「平らな道は、凹凸(でこぼこ)しているかのようだ」という一文についてです。平らな道とは、綺麗に舗装された滑(なめ)らかな道のことであり、それが凸凹しているというのは全く変な話です。

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No.90 先に進むほど、ゴールは遠くなる

まだ学んでいないことの多さを思い知らされる

続いて「前に進む道は、後退しているかのようだ」という言葉の解釈です。前に進んでいたはずなのに、気が付いたら後ろに下がっていた、などというミステリアスな話ではありません。

「後退だ」と言っているのではなく、「後退しているかのようだ」と表現している点に注目しましょう。その言い回しに、老子の伝えたい意味があるのです。

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No.89 松下本は、さらりと読めてしまうから要注意

必要なときに必要なことを行うのが道

『老子』そのものが逆説的であると言えばその通りなのですが、本章にも謎かけのような言葉が、いろいろ出てまいります。

「明らかな道は、薄ぼんやりしているかのようだ」。これは、シンプルで分かり易いものほど、中味の薄いものに感じてしまうという意味の言葉です。

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No.88 馬鹿にされて笑われることは承知の上

大器は晩成する

大人物ほど、ゆっくり伸びていきます。早く固まることなく、晩節に至っても成長を止めません。そのことを老子は、「大器晩成」と言いました。

《老子・第四十一章》
「上等の士は、天地自然の原理である道を聞いたら、努めてそれを行おうとする。中等の士は、道を聞くと、分かったようでもあり、忘れたようでもある。下等の士になると、道を聞いて大声で笑い出す。だが、笑われなければ、道とするには不十分である。

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No.87 迷いや心配から脱するために「無の思想」がある

治っているという医者の一言で快方へ

あるいは、あらゆる現象は意識の現れであり、一切は仮の存在であるとする無の考え方もあります。有ると思うのは迷いであり、本当は何も存在していない。物に囚われ、形に拘って(こだわって)はならない。目に見えるものの奥にこそ、真実の世界があるという捉え方です。こちらは「絶対の無」と呼ぶべきもので、これも老子の言いたかった「無」であると推察します。

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No.85 真の強さは「弱」にある

勝ったほうも、次には倒される

左手の指と右手の指とで押し合ったら、一体どうなるでしょうか。思い切り力んでいけば、どちらかの指が折れてしまいます。自分の指ですから、実際には痛くなる前に止めてしまいますが、本当に対抗していけば、一方が倒れるときが戦いの終わるときになります。

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No.83 美麗な玉と、ごろごろした原石。あなたはどちらを選ぶ?

裸一貫で通用する人間力があって、はじめて肩書きや役職が生きてくる

さて、「一」は根本原理であると同時に、「全体を一つに捉える」ということでもあります。一体観によって、部分に囚われない見方をするのです。貴賤なら貴のみに傾かず、高低なら高だけに偏ることなく、玉石ならば玉ばかりに目を奪われません。

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