◇何事であれ、自然に剥がれるときが来るもの◇
老子は謙遜して語ります。この私に些か(いささか)なりとも明知(めいち)があるならば、無為自然の大道を行くのに、脇道に逸れてしまわないかどうかを心配するだろうと。明知とは、微妙なものを察知する働きのことです。それがれば、堂々と大道を進むことが出来ます。後はただ、つまらない脇道に入ってしまうことをのみ心配せよと言うのです。
◇何事であれ、自然に剥がれるときが来るもの◇
老子は謙遜して語ります。この私に些か(いささか)なりとも明知(めいち)があるならば、無為自然の大道を行くのに、脇道に逸れてしまわないかどうかを心配するだろうと。明知とは、微妙なものを察知する働きのことです。それがれば、堂々と大道を進むことが出来ます。後はただ、つまらない脇道に入ってしまうことをのみ心配せよと言うのです。
◇青年県議の車、専用駐車場に入れて貰えず◇
誰もが、政治の腐敗・堕落を嘆きます。利益誘導と、それに伴う汚職。
鎬(しのぎ)を削る出世競争。政治は結局、利権の奪い合いの代名詞に過ぎないのでしょうか。
◇眼光は、目から放射される光◇
「光を用いて、明に復帰すれば、身の禍(わざわい)を遺すことがない」。
この文の「光」は、自分から発せられる光のことです。自分から光を出すことによって、回りを明察していくというのです。
◇目や舌のために生きているだけの人生◇
先に述べた通り、五感を司る目や耳、鼻や舌、皮膚(痛点・圧点・温点など)などの感覚器官は、本来身を守るために存在しています。この五感を正常に働かせる上で、大事な注意事項があります。
それは、五感に対して自分本体が主人でいるように、ということです。
ちょっと油断すると、いつの間にか主客入れ替わって、目や舌のために生きているだけの人生に陥ってしまいかねません。
◇根源の現象の関係を知りなさい◇
第五十二章は、三つの内容で成り立っています。第一に、根源(母)と現象(子)の関係を知りなさいということ。第二に、欲望の入り口(目・耳・鼻・口など)を閉ざしなさいということ。第三に、微妙を明察しなさいということです。
これらは、一つにつながっています。第一に言う根源を知るためには、第二の欲望に振り回されないということが必要であり、欲望を抑えられるようになれば、第三に言う微妙なものを明察出来るようになるというわけです。
◇道は万物を生じ、徳が万物を育む◇
《老子・第五十一章》
「(天地自然の原理である)道は万物を生み、(道の)徳は万物を養い、物それぞれの形勢が成り立った。そういうことから、万物の中で道を尊び、徳を貴ばないものはない。
道が尊く、徳が貴いのは、何かが命じているわけではないのに、常に自ずから然りであるところにある。だから道は万物を生み、徳が万物を育て、そして生長、生育、安定、充実、養護、庇護していくのだ。
生み出しても我が物とせず、それらを働かせてももたれかからず、上に立っても支配しない。これらを奥深い徳という。」
◇相手にしつつも相手にしない◇
老子は、死地をすり抜けられる柔弱さの重要性を教えています。相手にしつつも相手にしないといった、しなやかな態度です。いちいち挑発に乗って、どうでもいい相手に絡まれているようではいけません。
◇腕に覚えがあると、却ってケンカになる◇
『老子』第五十章の続きです。「よく生を養う者は、陸を行って猛獣に会わず、戦場に入って甲冑や武器を身に付けない」とあります。そして「一角獣は、その角を突くところが無く、虎は、その爪をかけるところが無く、武器も、その刃を入れるところが無い。それは何故か。(その者が)死地にいないからである」と。
◇過労を避け、無理せずよく休むことが必要◇
生地から死地への移動ばかりでなく、反対に死地から生地への移動もあります。そのままでは死地に向かうはずの者が生地に留まったり、既に死地に入っている者が生地に復活したりするケースです。