◇指導者は無心であれ◇
昭和天皇は、大の相撲ファンでした。あるとき、マスコミの代表から好きな力士の名前を問われましたが、陛下はそれを明かされませんでした。名前を言うと、その力士ばかりが新聞に載り、他の力士が可哀想になるから言えないとお答えになったのです。無私の心をお持ちであった、昭和天皇らしいエピソードです。
老子は、指導者は無心であれと諭しました。好みや関心を示さず、無欲・無心の心でいれば、国民もまた赤子のような素直な心になるであろうと。
外国の元首らが昭和天皇の前に出ると、傲慢さのある人であっても、その厳つさ(いかつさ)が消え、赤子のような素直な態度になったという話があります。昭和天皇こそ、道家の聖人、達人であったのではないかと思う所以です。この昭和天皇のお姿に通じる内容が書かれている、『老子』第四十九章を見ていきましょう。
◇不善であるものも善とする◇
《老子・第四十九章》
「道家の聖人には固定した心が無い。万民の心を(自分の)心としているのだ。
善であるものは善であるとし、不善であるものも善とする。
それで善を得ることが出来る。
信であるものは信であるとし、不信であるものも信とする。
それで信を得ることが出来る。
聖人の天下に対するやり方は、囚われることなく吸収し包容するのであり、天下のためには(自分の)心を渾沌(こんとん)とさせておく。
万民は皆その耳目を(聖人に)注ぐ。聖人は皆それ(万民)を赤子にしてしまう。」
※原文のキーワード
固定した心…「常心」、万民…「百姓(ひゃくせい)」、得る…「徳」、対するやり方…「在」、囚われることなく吸収し包容する…「歙歙(きゅうきゅう)」、渾沌…「渾」、赤子…「孩」
(続く)