◇自分の心配を心配してしまう◇
相手を思いやる上で、つい陥ってしまう間違いがあります。それは、相手の心を掴み、思っているつもりが、いつの間にか自分の都合を心配してしまうということです。「自分の心配を心配している」状態という感じです。
◇自分の心配を心配してしまう◇
相手を思いやる上で、つい陥ってしまう間違いがあります。それは、相手の心を掴み、思っているつもりが、いつの間にか自分の都合を心配してしまうということです。「自分の心配を心配している」状態という感じです。
◇人間は矛盾する感情を持っている◇
対人関係の間合いには、誰でも苦労します。たとえどんなに親しい間柄であっても、一定の距離感というものが必要になります。
人間は矛盾する感情を持っており、「ここまでは分かって欲しい」という期待や、「こうしてくれてもいいのに」という要求心を起こす反面、「ここまで入られるとうるさい」とか、「いっそ放っておいて貰いたい」という反発の感情も同時に発生させます。それが相手側に生じた場合、相対するこちら側としては「結局どうして欲しいの?」と戸惑うことになります。
◇相手というものは、自分が思うような相手になっていくもの◇
マイナスのエネルギーと化したマガツヒを、元の真っ直ぐなエネルギーであるナホヒに戻すにはどうしたらいいでしょうか。その第一は、マガツヒも元はナホヒであると思うことです。
◇宇宙はまだ進化の途中にある◇
全てが「ナホヒ(直日、直霊)」のままなら問題は無いのに、なぜマイナスのエネルギーである「マガツヒ(禍津日、禍津霊)」が発生してしまうのでしょうか。ズバリその理由は、宇宙が不完全なことにあります。不完全であるということは、宇宙はまだ進化の途中にあるということです。
◇強欲対立を招く覇道のやり方では、人間社会は少しも進化しない◇
筆者は、霊感というものは極力、私利私欲で使ってはならないと思っています。筆者の場合、私欲では霊感が働かないほうですが、中には私利私欲で強い霊感を働かせられる人もいます。いると言うよりも、そういう人のほうが多いのが現実かも知れません。
◇霊感は、あくまで何かの拍子にフッと感じるもの◇
それから、強く願うにあたって大事な心得があります。それは、私利私欲で願うのではなく、私心を捨て、私欲を超えたところで強く願うのがいいということです。即ち、公利大欲の願いです。
◇寝ても覚めても、強く願うようでないといけない◇
精神エネルギーである「念子」、これをどうすれば発揮出来るかについて述べておきます。そもそも人間は「心の動物」なのですから、日常生活の中で常に精神エネルギーを放出して生きております。人が生きるということ自体が、念子の発揮に他なりません。
◇自分の目で西洋の情勢を確かめようとした吉田松陰◇
幕末に高杉晋作や伊藤博文らを育てた、松下村塾という私塾がありました。この塾を主宰した吉田松陰先生は、数え年30歳(満29歳)の若さで処刑されます(安政の大獄)。短い生涯で終わりましたが、とてもよく動いた人生でした。
◇こうありたいという理想や、こうあるべきだという理念を持とう◇
現場には過去しかないことが多い。だから、そこに埋没しないよう注意が要ると述べました。では、どうすれば現場に囚われないで、大局観を保っていられるでしょうか。
それには、こうありたいという理想や、こうあるべきだという理念を持つことが大切です。確固たる理想を失わなければ、体は現地に入っても、心は現場の固定観念から離れたところに置くことが出来ます。そして、理想や理念と現場を照合させれば、何が正しく、何が必要なのかを公平に見抜くことが可能となるでしょう。
◇宇宙の初期状態は、水に浮いた油やクラゲのようであった◇
古事記の日本神話は、宇宙の成立からはじまっています。最初に大宇宙の中心を司る神が現れ、続いて陽の神と陰の神が登場します。その陽と陰の働きによって勢いのある成長力が起こり、宇宙は生成発展し、やがて安定を見せるに到ります。また、宇宙の初期状態は、水に浮いた油のようであり、海に漂うクラゲのようでもあるとも説明されています。