◇選挙に頼らない民主政治がある◇
幸せは仕合わせです。人生を共にし、互いに必要とし合い、生かし合う。そういう絆が無ければ、生きる喜びが湧いてきません。結局、人間の幸福というものは、自分を分かってくれる人たちと共に活動したり、一緒に生活したりするところから生まれてくるのだと思います。
◇選挙に頼らない民主政治がある◇
幸せは仕合わせです。人生を共にし、互いに必要とし合い、生かし合う。そういう絆が無ければ、生きる喜びが湧いてきません。結局、人間の幸福というものは、自分を分かってくれる人たちと共に活動したり、一緒に生活したりするところから生まれてくるのだと思います。
◇小国寡民(小さな国と少ない民)◇
理想の社会は、「小国寡民(小さな国と少ない民)。それが『老子』第八十章の結論です。人口は多ければ多いほど出会いが広がり、お互いの可能性が高まるものと考えている人にとって、この小国寡民は、あまりにも消極的な社会観に思えてしまいます。しかし、意味も無く老子が思想を語ることはありません。
◇知人に出会って驚くか、知らない人を見て驚くか◇
東京や大阪などの大都会の中で知人に出会うと、その偶然に大変驚いてしまいます。「こんなところで会うなんて、本当にびっくりしました。どこに知り合いがいるか分からないのですから、やはり悪いことは出来ませんね」などと挨拶をすることになります。
◇あるがままの働きを生かせば、自然原理として上手くいく◇
天は「常に(徳のある)善人に味方する」。この善人の「善」は、温順で整った様子を表す「羊」と、問答を示す「言言」が組み合わさった漢字(会意文字)です。美しい言葉を話し、筋の通った行いをするのが善人で、天はそういう徳を積む者の味方になるというのです。
◇やった通りのことが返ってくるのが天の理法◇
本章の締め括りの言葉は「天の理法に依怙贔屓(えこひいき)はない。常に(徳のある)善人に味方する」です。原文は「天道無親、常与善人」で、「天道は親無し」は人口に膾炙(かいしゃ)する『老子』の名言です。
◇ストレス解消や憂さ晴らしのために意見を言うようでは…◇
「大きな怨み」は、面子を潰されたり、仕切り気を損ねたりしたときに買ってしまうということを述べましたが、それに関連して、もう一つ挙げておかねばならないことがあります。それは言葉の問題です。「言葉こそ怨みを買う元になる」ということを知っておかねばなりません。
◇マスコミにとっては、一人で二度オイシイ◇
ところで、無名の人間がマスコミに採り上げられる場合、まずその人の活躍を美談として報道します。やがて名前が周知されると、今度は何かの問題をネタに叩く場合があります。マスコミにとっては、一人で二度オイシイというわけです。
◇意外なほど些細な出来事で、怨みの感情を起こしてしまう◇
こうして、金銭の貸借によってトラブルが生じたとき、己の領分を荒らされて「仕切り気」を損なったとき、面子(めんつ、体面・面目)を潰されて恥をかかされたときなどに、人は怨みの感情を起こすことになります。
◇代金を即座に請求したら不粋◇
さて、話を京都の商いに戻します。花街では、花代(代金)をすぐに請求しないのだそうです。即座に金銭の授受をするのは大変不粋なことであり、何ヶ月も経ってから請求書を送るか、集金に伺うのが一般的であったのこと。