◇美しい言葉は信実でない◇
『老子』の最終章、第八十一章に至りました。本章は、総まとめの内容となっています。
◇人類は、相争うために誕生したのだろうか◇
人は神性と動物性の中間に生きています。仲間を蹴落として自分だけ生き残ろうとし、隣り合う国同士で戦争をして覇を競い合うのは動物性の現れです。
◇小国寡民~争えば損になる環境◇
生まれ育った土地に嫌悪感を持ち、つい余所(よそ)に目が向く。自国を卑下し、いつも他国に憧れる。そうした自己否定的な感情は、誰にでも起こり得ることだと述べました。
◇人々は死ぬまで自分のムラやクニから離れない!?◇
「隣国を互いに望み、鶏や犬の声が互いに聞こえる(くらい近い)が、人民は老死に至るまで互いに往来しない」。これが第八十章の締め括りの言葉です。
◇家が大きくて部屋数が多ければ、その分、物が増えるだけ◇
さらに老子は、「其の(自然の)食べ物を美味しいとし、其の(質素な)服を美しいとし、其の(粗末な)住居に安んじ、其の(素朴な)習俗を楽しむ」と語ります。
◇共感力のある相手がいれば、人は幸せになれる◇
なお「人の十倍・百倍も優れた器量の者」の原文は「什伯之器」で、これには「様々な機械や道具」、「沢山の武器」、あるいは「什」を十人の一隊、「伯」を百人の一隊と捉えて「軍隊」という解釈もあります。いずれにしても、機械や武器、軍隊という文明の発達に伴う「利器」が「小国寡民」にあっては「不用」となるのですから、原始共産的な村落共同体がイメージされることに違いはありません。
※前回(その74)の下記の文を訂正致します。
訂正前「また、クニのクは組む、括るのクで結合を、ニは煮る、似る、握るのニで段々一つにまとまっていく様子(一様)を表します。則ちクニは「長い時間を掛けて一様に結合した共同体」というわけです。」
◇人が集まれば、それをまとめる統治機構が必要となる◇
圧政に苦しむ人民を救おうと思うあまり、政治権力や国家そのものを否定する思想が起こりました。無政府主義(アナーキズム)がそれで、政府や国家さえ無くなれば、人々を苦しめる覇者、残忍な梟雄(きょうゆう)や、悪賢い奸雄(かんゆう)が出なくなると考えたのです。
◇原始共産的な村落共同体◇
《老子・第八十章》
「小さな国家と少ない人民、そこに人の十倍・百倍も優れた器量の者がいても用いられないようにする。民には命を大切にし、遠くに移住しないようにさせる。舟や輿(こし)があっても之に乗る必要が無く、鎧と武器があっても之を並べる必要が無い。