◇天から頂いた我が持ち分、すなわち天分を生かせ◇
第五十四章の続きを述べてまいりましょう。「之(道の働き)を我が身に修めれば、その徳はすなわち純真となる」と。
道の働きを我が身に修めるというのは、天から頂いた我が持ち分、すなわち天分を生かすということです。(天地自然の原理である)道は、自分自身の中にも働いています。それが天分や天性であり、これが損なわれなければ素朴・純真でいられるというのです。
◇天から頂いた我が持ち分、すなわち天分を生かせ◇
第五十四章の続きを述べてまいりましょう。「之(道の働き)を我が身に修めれば、その徳はすなわち純真となる」と。
道の働きを我が身に修めるというのは、天から頂いた我が持ち分、すなわち天分を生かすということです。(天地自然の原理である)道は、自分自身の中にも働いています。それが天分や天性であり、これが損なわれなければ素朴・純真でいられるというのです。
◇先祖と子孫の間に生きることの意味◇
深いところに根ざすあり方は、先祖の祭祀にも通じます。老子も本章にあるように、先祖の祭祀の大切さを認めていました。
我々は、ただ一人で生きているのではなく、先祖と子孫の間にあって、そのタテイトをつなぎながら生きております。自分は先祖の生まれ変わりであり、子孫は自分の生まれ変わりであると言うことも出来るでしょう。
◇しっかりと打ち込まれたものは抜けない◇
あらゆるものを、そうさせている働き。全ての存在を成り立たせている根本原理。それが「道」であり、あれこれ迷わないで、道に根ざした生き方をしなさい。この根本原理を掴めば、我が身も、家も、郷里も、国も、天下も、何でも上手くまとまると、老子は教えます。
◇世間から気の毒に思われるくらいで丁度いい◇
為政者というものは、贅沢を戒め、世間から気の毒に思われるくらいでなければいけない。そう諭したのは、明治維新第一の英傑・西郷隆盛です。
「万民の上に位する者は、慎み深く、品行を正しくし、驕奢を戒め、職務に努めて国民の手本となり、人々からその働きぶりが気の毒に思われるくらいでなければ、政府から出される命令は行われ難いものだ。
ところが、まだ新政府の草創期にありながら、為政者たちは立派な家屋敷に住み、豪華な衣服を身に纏い、美しい妾を抱え、蓄財に励んでいる。これでは維新の功業は、成し遂げられないまま終わってしまうだろう。
◇国民が幸せになることが指導者の喜び◇
さて、大道は己ばかりか、広く皆を救う道でもあります。小道では自分しか救われませんが、大道なら多くの人々を助けることが出来ます。それが政治であれば、権力者だけが富貴になるのではなく、広く民衆が幸福になる道が大道となります。
◇何事であれ、自然に剥がれるときが来るもの◇
老子は謙遜して語ります。この私に些か(いささか)なりとも明知(めいち)があるならば、無為自然の大道を行くのに、脇道に逸れてしまわないかどうかを心配するだろうと。明知とは、微妙なものを察知する働きのことです。それがれば、堂々と大道を進むことが出来ます。後はただ、つまらない脇道に入ってしまうことをのみ心配せよと言うのです。
◇青年県議の車、専用駐車場に入れて貰えず◇
誰もが、政治の腐敗・堕落を嘆きます。利益誘導と、それに伴う汚職。
鎬(しのぎ)を削る出世競争。政治は結局、利権の奪い合いの代名詞に過ぎないのでしょうか。
◇眼光は、目から放射される光◇
「光を用いて、明に復帰すれば、身の禍(わざわい)を遺すことがない」。
この文の「光」は、自分から発せられる光のことです。自分から光を出すことによって、回りを明察していくというのです。
◇目や舌のために生きているだけの人生◇
先に述べた通り、五感を司る目や耳、鼻や舌、皮膚(痛点・圧点・温点など)などの感覚器官は、本来身を守るために存在しています。この五感を正常に働かせる上で、大事な注意事項があります。
それは、五感に対して自分本体が主人でいるように、ということです。
ちょっと油断すると、いつの間にか主客入れ替わって、目や舌のために生きているだけの人生に陥ってしまいかねません。
◇根源の現象の関係を知りなさい◇
第五十二章は、三つの内容で成り立っています。第一に、根源(母)と現象(子)の関係を知りなさいということ。第二に、欲望の入り口(目・耳・鼻・口など)を閉ざしなさいということ。第三に、微妙を明察しなさいということです。
これらは、一つにつながっています。第一に言う根源を知るためには、第二の欲望に振り回されないということが必要であり、欲望を抑えられるようになれば、第三に言う微妙なものを明察出来るようになるというわけです。