◇分かっているからこそ、敢えて言挙げしない◇
老子は「(道を)知る者は言わず、言う者は(道を)知らない」と諭しました。本当に物事の核心を掴んだ者ほど、その掴んだ事を妄(みだ)りに口にしない。やたらに言いたがる者は、実はよく知らないと。
◇分かっているからこそ、敢えて言挙げしない◇
老子は「(道を)知る者は言わず、言う者は(道を)知らない」と諭しました。本当に物事の核心を掴んだ者ほど、その掴んだ事を妄(みだ)りに口にしない。やたらに言いたがる者は、実はよく知らないと。
◇世の中を良くしたいのか、良く泳ぎたいのか◇
世の中を良くしたいのか、それとも世の中を良く(上手く)泳ぎたいのか。どちらも社会を相手にしている点では同じなのですが、原点に大きな違いがあります。
◇部下が気になる。どうしてだろう、どう注意したらいいのか◇
大人の日常にとって、心身のコントロールくらい大切で、しかも大変なことはありません。心身の安定のためには、道の働きが重要です。これ(道の働き)を生かしつつ、心身を本来の状態に復帰させることが肝要となります。
方法として、まず挙げるべきは「素直な心になる」ことです。それは、赤子の心に復帰することに他なりません。綜観の師匠である松下幸之助翁こそ、高齢になっても素直さと赤子の心を失わないでいた代表的人物でした。
◇大人はストレスを貯め込む一方◇
いくら泣いても声が枯れない。全身で泣くことによって、エネルギーのバランスを取っている。余分なエネルギーを残すことなく使い切れば、コロッと寝てしまう。それが赤子に見る調和の取り方です。
◇赤子は毒虫や猛獣、猛禽に襲われない!?◇
「徳」は中国思想の重要なキーワードで、儒家も道家もこれを尊んでいます。しかし捉え方に違いがあり、儒家では努力によって磨かれた「後天の徳」を「徳」というのに対し、道家では持って生まれた天性や個性などの「先天の徳」を「徳」の意味としています。
◇見た目が弱ければ力が乏しいと思うのは偏見◇
老子は、水の柔軟性や、女性の持つしなやかさ、赤子の純朴さなどを尊びます。水や女性や赤子は、通常弱い立場にあると見られているものです。常識的には、水は岩石より弱く、女性は男性より柔弱で、赤子は大人より虚弱です。
◇大国は、道に反してまで今以上に大きくなろうとはしない◇
我が身、家、郷里、国ときて、さらに「道」を「天下に修めれば」どうなるでしょうか。老子は、その徳はどこまでも広く行き渡ると言いました。
中国にあって「天下」とは、国々が覇を競い合う地上世界のことです。
そこでは、大国と小国がひしめき合って、合従連衡(がっしょうれんこう)を繰り返しています。大国はライバル国を倒して天下取りを志し、小国は小国で大国に飲み込まれないよう生き残りに必死となります。
そういう現実の中で、天地自然の原理である「道」を修めるとは、一体どういうことでしょうか。結論を言えば、大国は道に反してまで、今以上に大きくなろうとはしない。小国は道に従って個性を生かし、自立を維持していくということになります。
◇共感し合える仲間がいるから幸せを味わえる◇
さらに「道」が国に働いた場合はどうでしょうか。「之を国に修めれば、その徳はすなわち豊かになる」と老子は説きました。
そもそも、なぜ人は国をつくったのか。当然のことながら、それは進歩と幸福のためです。一人では出来ない仕事も、仲間がいれば前に進められます。また、人は一人では生きられません。生活を共にし、喜びも悲しみも共有出来る仲間がいてこそ、我々は幸せを掴んでいけます。その大きな単位が国家というわけです。
◇人間は、目に見えない根を張っている◇
続いて、天地自然の原理である「道」が郷里に働いた場合です。郷里には、それぞれの気候風土というものがあります。山には山の、海には海の、寒いところには寒いところの、暑いところには暑いところの自然に順応した生活があるのです。それらの風土に合わせた暮らしをするのが、「道を郷里に修める」姿ということになります。