◇根本原理である「一」を得る◇
《老子・第三十九章》
「昔から一を得たものがあり、(その中で)天は一を得ることで清浄で、地は一を得ることで安寧で、神は一を得ることで霊妙で、谷は一を得ることで充足し、万物は一を得ることで生育し、君主は一を得ることで天下の貞直となる。そのようにこれらをさせるのは一だからである。
◇根本原理である「一」を得る◇
《老子・第三十九章》
「昔から一を得たものがあり、(その中で)天は一を得ることで清浄で、地は一を得ることで安寧で、神は一を得ることで霊妙で、谷は一を得ることで充足し、万物は一を得ることで生育し、君主は一を得ることで天下の貞直となる。そのようにこれらをさせるのは一だからである。
◇共通の原理を掴めば全体が分かってくる◇
東洋思想の基本に、全てにつながる原理を認め、これを直覚的に掴もうとする考え方があります。そもそもこの世界には、あらゆる物を生かしている根元的な働きがあり、その「共通の原理」を捉えさえすれば全てが分かると考えたのです。
【修正】「その62」の「前もっての知識(智)は、(儒家の)道にとっては華であるとしても愚の始めだ」という文章を以下のように修正します。
「前もっての意識は、(儒家の)道にとっては華であるとしても愚の始めだ」。
「知識(智)」を「意識」に変えました。
◇儒教は本当のところ無力ではないのか、という疑問◇
中国・春秋戦国時代に登場した思想家の群れを「諸子百家」といいます。
約300年間に、ほぼ全ての学派が出尽くしました。その天才的思想家たちの先頭ランナーが、儒家の始祖である孔子です。
◇客ではなく、金に頭を下げている◇
そのように礼は人間関係の潤滑油として大切なものですが、心のこもらない形式的な礼や、本心に反した意図的な礼になると空しいばかりとなります。
笑顔やお辞儀は、心がこもっていてこそ輝きます。
◇義に生きる人には硬いイメージがある◇
次に「義の上なるものは、何かを為して為にするところが有る」と続きます。
上のレベルであっても義に生きる人には、何かを為したときに意図的なわざとらしさが出てしまうというのです。これは、正義漢の注意点ですね。
◇「仁」にもレベルがある◇
儒家思想における一番のキーワードは、何と言っても「仁」です。仁は、人を表す「イ」と「二」が組み合わさった会意文字で、人が二人いることを意味しています。二人というのは自分と相手のことで、「明確な相手のために自分が何を出来るか」を問い掛けている漢字が仁なのです。
◇天徳の道家、人徳の儒家◇
「先天の徳」は、老子の言う「樸」、つまり荒木にあたるものです。私たちが元々持っている個性や天性、天分がその内容で、これが道家(老子などの教え)の徳の意味となります。
◇徳・仁・義・礼の順で下がっていく◇
何も為さないのに、何でも為していく。爪先立った欲が無くて静かでいるから、天下は自然に定まることになる。そういう内容を前章で学びました。続く第三十八章には、「徳」「仁」「義」「礼」などの中国思想のキーワードによって、無為自然の「道」の尊さが説かれています。