何を行い、誰を相手にするかによって、第一に選ぶべき場所というものがあります。少人数のコアなメンバーを集めるなら、日当たりが少し悪いくらいの、裏通りや地下にある場が向いているでしょう。秘密基地や隠れ家のような感じの所です。
反対に、明るい活動を行い、元氣な仲間を集めたい場合はどうでしょうか。やはり日当たりが良くて目立つ所に、皆が集まる場を設けたほうが目的に敵うはずです。
何を行い、誰を相手にするかによって、第一に選ぶべき場所というものがあります。少人数のコアなメンバーを集めるなら、日当たりが少し悪いくらいの、裏通りや地下にある場が向いているでしょう。秘密基地や隠れ家のような感じの所です。
反対に、明るい活動を行い、元氣な仲間を集めたい場合はどうでしょうか。やはり日当たりが良くて目立つ所に、皆が集まる場を設けたほうが目的に敵うはずです。
「軍隊の居る場所」つまり戦争におけるポジショニングには、細心の注意を払わねばなりません。「敵軍を観察するときの視点について」も、よく心得ておく必要があります。それらについて、詳細に示されているのが「行軍篇」です。
まず、山岳地帯を行軍するときの注意です。「山を越すときは谷に沿って進め」というのは、谷伝いに少しでも歩き易い道を取り、飲料水や馬の餌となる草(飼料)を確保するためでしょう。
まず地形を知り、それに応じて布陣し、軍隊を進める。この当たり前のことが出来てこそ、敵の実情を観察する余裕も生まれます。その重要な注意点や視点が、「行軍篇」に示されています。
《孫子・行軍篇その一》
「軍隊の居る場所の注意点と、敵軍を観察するときの視点について、孫子が言った。
孫子・九変篇の締め括りです。この篇が解説しているのは、臨機応変による用兵の原則です。臨機応変とは機に臨んで変に応じることで、好機(チャンス)と見たら、それを逃さないよう即応し、危険と感じたら、それを避けるよう変化する機敏さが求められます。それには心の柔軟性が必要となりますので、孫子は指揮官である将軍に対して、意識が偏ったり凝り固まったりしないよう戒めました。
筆者はこれまで、多くの議員や政治家志望者を見てきました。その中に、「これは危ないな」と思われるタイプが存在しています。
その第一は、情勢判断が不十分で、駆け引きを知らないまま突っ込んで行き、あっけなく落選する自爆タイプ。
人類の意識は、未だ武器や戦争を必要としないレベルにまで向上していません。残念ながら、21世紀の現代にあっても、防衛上の備えを怠るわけにはいかないのが現実です。
では、国防の心構えとして第一に挙げておくべきは何でしょうか。それについて孫子は、敵が攻めて来ないことをあてにしていてはいけないと教えました。頼みにすべきは、あくまでこちらの備え、則ち防衛努力にあるのであって、敵が侵略して来ないことばかり期待しているようでは脳天気にも程があると。
国際政治は、今も「力の原理」で動いています。その基本は軍事力にあり、力の空白が生ずれば、間髪を入れずに周辺諸国が攻め込んで来ます。従って「こちらに侵略の意図さえ無ければ、相手もきっと攻めて来ないだろう」などという期待は、あまりにも相手任せの理想論でしかありません。
また、大量殺戮兵器の発達した現代では、もしも戦争になったら世界全体が滅んでしまう。だから、もう戦争は起こらないという見解もありました。確かに、昔に比べれば簡単に戦争を起こせない時代になっていますが、相変わらず軍事力が有効であることは確かです。
「智者の思慮は、必ず利と害をまじえている」という考え方は、味方が有利になるよう誘導する際にも用いられます。次のように、敵に対して利と害をまじえつつ巧みに仕掛けるのです。
・敵の諸国を屈服させるには害を与える。
・敵の諸国を使役し、疲れさせるには事業を仕掛ける。
・敵の諸国を(こちらに)趨(はし)らせるには利で仕向ける。
何事であれ、それを通して利益のみを得るということは無く、必ずその中に何らかのマイナス面(失うもの)が潜んでいます。また、損害を被るばかりという事も案外少なく、その困難を通してプラスになる利点が伴っているものです。
そのことを孫子は「智者の思慮は、必ず利と害をまじえている」と言いました。利害を二者択一的に捉えるのではなく、利と害を多面的にまじえ、利の中に害を見、害の中に利を見よとのことです。
我々の意識というものは、どうしても一方に偏ります。少し調子に乗ると、どこまでも利益が膨らむことを夢見、一部分でも巧くいかなくなると、このまま損害が出て終わってしまうのではないかと気落ちします。
指導者が、そんな単純な思考に留まっているようではいけません。プラス面とマイナス面、則ち利益と損害(被害や害悪)の両方を普段から意識することが必要です。どちらか一面だけを見てよしとするのではなく、常に全体を観るよう心掛けるのです。