◇地球から宇宙に放出される念子のレベルを高めよう◇
人類は、そろそろ人類全体として進化すべき時期に来ていると思われます。いつまでもエゴむき出しで、醜く争い合っている場合ではないでしょう。行き着く先が崩壊では、あまりにも情けないです。
◇地球から宇宙に放出される念子のレベルを高めよう◇
人類は、そろそろ人類全体として進化すべき時期に来ていると思われます。いつまでもエゴむき出しで、醜く争い合っている場合ではないでしょう。行き着く先が崩壊では、あまりにも情けないです。
◇自分を通して何かが表現されていく◇
大直と大功と大弁。これらは、飾らない素直な生き方の表現に他なりません。我を張ったり、格好良くやろうとしたり、人よりも目立とうとしたりしない生き様です。そういう状態を「無我」と言います。
◇人と衝突してばかりいるのは、決して真っ直ぐな生き方ではない◇
では、「大直は曲がって見える」ということを、私たちの人生に置き換えてみましょう。すぐに浮かぶのは、やたらに摩擦を起こし、人と衝突してばかりいるのは、決して真っ直ぐな生き方ではないだろうということです。
◇カーブした道路を自動車が走るようなもの◇
次に「真っ直ぐなものは曲がっているかのようであり、精巧なものは稚拙なように見え、雄弁は口下手に聞こえる」についてです。何だかわけの分からないことを言っているようですが、それぞれ深い意味があります。
◇満杯のコップや、伸びきったゴムでは困る◇
老子が理想とする人物は、必ず「あそびのある余裕」というものを持っています。茫洋(ぼうよう)としていて掴みどころがない感じでありながら、実は社会と人間をしっかり捉えているというふうです。
◇いかにも「らしい人」というのは、まだまだ不完全◇
何事も、最初は形(かたち)から入ります。礼儀作法や諸芸の稽古など、みなそうです。教えられるまま形式を身に付けていくことから始まり、やがて形が様(さま)になってくると、それに伴って心が成長している自分に気付きます。覚悟や落ち着きというものが養われてくるのです。
◇強い意志が「念子」を放つ◇
霊感のある女性が、素人なのに立派な仏像を彫刻してしまったというのは、常識的には一笑に付される荒唐無稽な話です。でも筆者は、可能性として、あり得る現象だと思っています。インドの仏師の霊が本当に乗り移ったということの意味を、次のように考えているからです。
◇見事な仏像は、霊が乗り移ってきて彫刻したもの!?◇
「林君、私が彫刻した仏像を見てくれない」。そう言われて、建設中の仏舎利塔に入ったら、2メートルはあると思われる見事なガンダーラ風の仏像がありました。