◇宇宙の進化に叶うことであれば善◇
第四十九章で善・不善という言葉が出てきましたが、そもそも何が善で、何が正しいのか。この根本的な命題を考える機会は、案外ありそうでないものです。それについて筆者の考えを述べておきましょう。
◇宇宙の進化に叶うことであれば善◇
第四十九章で善・不善という言葉が出てきましたが、そもそも何が善で、何が正しいのか。この根本的な命題を考える機会は、案外ありそうでないものです。それについて筆者の考えを述べておきましょう。
◇林のおやっさんだけは普通に接してくれた◇
「清濁併せ呑む」という言葉があります。人間関係ならば、真面目な人から過去に問題を起こした人まで何でもござれ。善も悪も、純粋なものも不純なものも、どちらも併せて一緒に飲み込んでしまうという、懐の大きさを表した言葉です。
◇谷の器とは何か◇
リーダーの役割は、取り組んでいる事業を何のため・誰のために行うのかという、理念や目的を明らかにするところにあります。その上で、到達すべき目標を示し、目標達成のための行程を整え、手段・方法に知恵を絞っていきます。
◇指導者は無心であれ◇
昭和天皇は、大の相撲ファンでした。あるとき、マスコミの代表から好きな力士の名前を問われましたが、陛下はそれを明かされませんでした。名前を言うと、その力士ばかりが新聞に載り、他の力士が可哀想になるから言えないとお答えになったのです。無私の心をお持ちであった、昭和天皇らしいエピソードです。
◇「わたし頑張ってます顔」に要注意◇
よく観察しないと、重心が上がり焦ってばかりいる人のことを、「力を尽くして活躍している人なんだ」と勘違いしてしまいます。眉間に皺(しわ)を寄せた「わたし頑張ってます顔」に注意せねばなりません。
むしろ、ぼんやりした顔でいながら、実際は常に先手で準備をし、為すべきタイミングを外さない人のほうに本物がいるものです。そういう人は、為すべきタイミング(適時)ばかりでなく、相応しい位置(適位置)や適度な量(適量)をよく知っています。
◇真っ先に解雇の対象になったA君◇
「何もしないところに至る」と聞くと、「一切合切(いっさいかっさい)何もしなくていいのだ」と早合点する人がいます。老子が全然何もしないことを勧めていたのかというと、決してそうではありません。
◇日に日に余分なものを捨てる◇
日に日に余分な物を捨てる。それは、こびりついた断片的知識や、固定観念と化した言葉を削ぎ落としていく行為のことです。言葉によって曇ってしまった自分の感性を、元の素直な状態に戻していくのです。
◇知識が思考を縛る◇
本を読んだり話を聞いたりして、勉強すれば知識が増えます。知識が広がること自体はいいことですが、断片的な言葉が頭の中に増えますと、物事を部分的にしか捉えられなくなります。いわゆる秀才の中には、融通の利かない考え方に囚われ、直感に欠けて鈍感になっている者がいます。その原因は、学んだ知識が思考を縛ってしまい、柔軟な見方が出来なくなり、全体的な観察力に乏しくなっているところにあります。
◇自分の心配を心配してしまう◇
相手を思いやる上で、つい陥ってしまう間違いがあります。それは、相手の心を掴み、思っているつもりが、いつの間にか自分の都合を心配してしまうということです。「自分の心配を心配している」状態という感じです。
◇人間は矛盾する感情を持っている◇
対人関係の間合いには、誰でも苦労します。たとえどんなに親しい間柄であっても、一定の距離感というものが必要になります。
人間は矛盾する感情を持っており、「ここまでは分かって欲しい」という期待や、「こうしてくれてもいいのに」という要求心を起こす反面、「ここまで入られるとうるさい」とか、「いっそ放っておいて貰いたい」という反発の感情も同時に発生させます。それが相手側に生じた場合、相対するこちら側としては「結局どうして欲しいの?」と戸惑うことになります。