No.84 正しいものとは何か

人為の多くは部分観に陥っている

老子は、表面的な「人為」を大変嫌いました。人為とは「人が為すこと」で、人間にとっての便利さや、自分の都合を優先する行為がそれに含まれます。その多くは部分観に陥っており、人間にとっては楽だが自然環境を酷く損なうとか、自分中心過ぎて周囲に迷惑が及ぶといった現象が起きます。

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No.83 福を招き、幸を掴んでいく高徳人生

禍の隣に福がおり、福の脇に禍が隠れている

続いて老子は「禍には福が寄り添っており、福には禍が潜んでいる」と語ります。禍(わざわい)と福は常に隣り合わせで、禍の中に福があり、福の中にも禍があるというのです。確かに、他人から見たら禍に見えても、当人にとっては幸せということがあるでしょうし、端から見れば福に見える生活なのに、実際は問題が多くて不幸せということもあります。

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No.82 悪は叩くだけでいいのか?

町明察に取り締まるだけでは、別の問題が起こってしまう

「悶悶」としてしまう政治の例として、暴力団対策があります。ただ明察に取り締まるだけでは、別の問題が起こってしまうようです。恐ろしい悪事を働く暴力団を放っておいていいはずがありませんし、取り締まらねばならないのは当然なのですが、単純に団体を壊滅させれば済むというものでもないとのこと。

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No.81 明快な政治よりも、悶え苦しむ政治のほうがいい…

政治には、温かさや湿り気が必要

政治は公明正大で、是は是、非は非というふうに、竹を割ったように分かり易いのがいい。そう思うのは当たり前です。ところが老子は、一般的な常識に逆らった見解を出してきます。テキパキ課題を処理していく「察察」とした明快な政治よりも、「悶悶」たる政治、則ち悶(もだ)え苦しむほどの政治のほうが好ましい。そのほうが人々は「淳淳」としていられると。

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No.80 共生文明創造の一番の基本が老子にある

世の中全体に莫大な損失をもたらした「奇物」

第五十七章の解説を続けます。「人に技巧が多くなると、奇物が益々起こる」と。

「技巧」それ自体は大切なことであるものの、その技術が人類の進化にとって本当に必要なものかどうかです。
天地自然の原理である「道」に則っているならば、自然も人も喜べる技巧となるでしょうが、道に外れ、全体にとって悪影響があるとなると困ります。

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No.79 普段の仕事や生活の中で、健康維持の工夫をする

仕事と名の付くものを行うのは本当に大変

何事であれ、仕事と名の付くものを行うのは本当に大変なことです。
嫌なことを我慢しなければなりませんし、嫌いな人を相手にしなければいけません。休みたいときに休めませんし、自分を騙し騙しノルマをこなしていかねばなりません。スポーツが仕事であれば、プロになるほど身体に無理が掛かり、引退の頃には体がガタガタになっていたりもします。

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NO.78 150年近くに及ぶ東京一極集中で、地方はボロボロ

閉塞感に満ちた政治を、根底から変えるときが来ている

老子が言う「あれこれ手出しをしないで、放っておく政治がいい」という考え方。これは、地方分権の理念にも当てはまると思います。政治の東京一極集中を脱し、権限を思い切って地方に移して、その自立を図るというのが地方分権の目的です。

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No.77 肩の凝らない社会から、洗練された文化が生まれる

◇権力の集中と活動の自由は、どちらも必要◇

規制と自由のバランスについて、歴史の例を述べてみます。権力というものは、常にそれを強める方向に力学が働きます。権力の集中であり、そのために規制や法律を多くしてまいります。制限が増えれば民衆は生き難くなりますから、それに反発して、活動の自由を求めることになります。

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No.76 規制教の盲信か、自由教の盲信か

昼食をラーメンにしようか、牛丼にしようか

甲を選ぶか、乙を選ぶか。Aを取るか、Bを取るか。決断の場面では、二者択一となることが多くあります。重要な決断ばかりではありません。
昼食をラーメンにしようか牛丼にしようかというときだって、結局どちらかに決めなくてはなりません。

私たちは、この一方を採ったら、もう一方は捨てるという選択に慣れております(難しく言えば弁証法的な選択)。そのためか、どんなことに対しても二者択一の思考パターンで対応してしまい、そこから抜け出せないでいることがよくあります。

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No.75 子供はぐんぐん成長するという事実を忘れてはならない

人間性が硬直化してからでは、基本はつくれない

徳目というものは、きちんと教えれば、成長に従って身に付いていきます。
徳目の意味や、それが大切であることの理由が分かってきたら、それに応じて次第に放っておくようにする。それが教育の手順として、自然ではないかと思われます。

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