No.125 楽なときほど慎重に対応せよ

◇楽な仕事や動作は、誤魔化しが殆ど利かない◇

「こういうことから聖人は、躊躇(ためら)いながら慎重に、易い事を難しい事と(して対応)する。かくて、終生困難が無いのである」。
これが本章(第六十三章)の締め括りです。

「こういうこと」というのは、「軽はずみな約束」によって「信用が薄くなる」ことや、「安易な事が多」いために却って「困難が多く」なることを意味しています。そういうとき、道家の「聖人は、躊躇(ためら)いながら慎重に、易い事を難しい事と(して対応)する」というのです。

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No.124 外交は防衛の最前線

◇一番の脅威は膨張する中国に移行◇

大東亜戦争後、(極論を言えば)日本の外交はアメリカ追随で事足りました。西側諸国の盟主であるアメリカに、ただひたすら付いて行けばよかったのです。

脅威となる相手国(仮想敵国)はソ連のみ。日米同盟を基本に、北への備えを固めておけば十分という時代があったのです(筆者の若い頃です)。もしもソ連に攻められるとしたら、まず北海道に侵攻してくる。いや新潟あたりに上陸するかも知れない、などという予想もありました。

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No.123 どうしても拒否すべきときは、はっきりと断ろう

◇約束の達人◇

ある人から聞かれた質問です。「約束を必ず守る人というのは、一体どういう人だと思いますか?」。「記憶力が高くて、責任感のある人でしょう」と答えましたら、「もっと大事なことがありますよ。約束を守る達人とは、約束を決してしない人のことなのです」と教えてくれました。

確かに約束をしていなければ、約束を破るということもありません。言われてみればナルホドと思う話であり、実はこれに近いことを老子も述べております。「軽はずみな約束は、必ず信用が薄くなる」と。軽はずみな約束を「軽諾」と言います。軽諾によって信用を薄くしないためには、中途半端な返事をしないよう注意せねばならないという教えです。

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No.122 人間関係の亀裂は、初期段階で“治療”しよう

◇難事はまだ簡単な内に対処し、大事はまだ細かい内に処理せよ◇

人間関係の亀裂というものは、案外小さな事から生じます。きっかけは挨拶をし忘れたことであったり、御礼を言いそびれたことであったりします。

そして「こいつは俺を無視しているな」とか、「有り難うの一言も言えない程度の人間なのか」と思う(思われる)ことになります。既に疑惑が起こってしまったわけで、そこへ同様の現象がもう1~2回重なるとダメになります。

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No121 徳というプラスのエネルギーで相手を包めば上手くいく

◇大きい物を小さくまとめて扱う◇

「愚将は小敵を大にす」という山鹿素行の教えを述べましたが、賢将ならその逆に「大敵を小にす」ということになります。「大敵」は、大きな問題のことです。

大きな問題の“巨大さ”に圧倒されないためには、まず相手の全体像を捉えることから始めるのがいいでしょう。最初は見るだけで怯(ひる)んでしまうかも知れませんが、目を逸らさなければ、次第に対処のポイント(何から手を付けたらいいかなど)があぶり出されてきます。

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No.120 世界中で最も鋭敏な味覚を持っているのが日本人

◇無味なはずの水にも、甘味や旨さがある◇

続いて「無味を味わう(味無味)」について。そもそも味の無いものは味わえないではないかと文句を言われそうですが、決してそんなことはありません。無味なはずの水にも、甘味や旨さがあります。無味とも言えるものから微細な味を感じ取るということは、生命体が持っている当然の能力であり、生命維持の基本でもあるのです。

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No.119 敢えてしないで放っておく

◇何もしないことを積極的に為す◇

「無為を為す」。この言葉は『老子』の中に何度も出てきました。「無為」は「為さ無い」ということであり、文字の通り「何もしない」という意味です。その為さ無いことを「為す」のが「無為を為す」です。

意識して為すのだが、それは何もしないということであり、何もしないことを積極的に為していく。何だか回りくどい表現ですね。でも、単純に何もするなと言っているわけではありません。

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No.118 大きい物は小さく扱い、小さい物は大きく生かす

◇大小を超越した上で、もう一度大小を捉え直す◇

大きい物は、出来るだけ小さく扱う。小さい物は、反対に大きく生かす。
被写体が大きくても小さくても、カメラを使って一枚の写真に綺麗に収められるのと同じで、大小に対して上手に対応するための心得というものがあります。

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No.117 同志団結によって前進する、強固な活動体の誕生

◇昔から「道」が貴ばれた理由◇

老子・第六十二章の続きです。「天子が立てられ、補弼(ほひつ)の官が置かれるときに、両手で抱えるほどの璧(へき)を四頭だての馬車の先にして(捧げることが)あるものの、いながらにして(万物の根源である)道を贈ることには及ばないのだ」と。

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No.116 世の中は「お互い様」、長い道中を助けたり、助けられたり

◇善悪以前の本源である「道」としては、悪人を見捨てるわけにはいかない◇

善人は「立派な言葉(美言)」を話します。それによって高い地位に就いたり、利益を手に入れたりすることが出来ます。善人はまた「尊い行い」によって、他人に施しを与えることが出来ます。これらの善行は、儒家が模範とするところです。

「だが、不善の人も(道を保っているのだから)何で見捨てられようか」と。
儒家の価値観では不善人と蔑まれてしまうものの、不善人だって「道」に抱かれながら生きています。善悪以前の本源である「道」としては、悪人を見捨てるわけにはいかないのです。

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