No.140 先人の念子が乗り移ると、普通では成し得ない創造力が発揮される

◇人にはそれぞれ、その人の天性と使命がある◇

吉田松陰先生は、全身で考え抜いた意見のみを信じました。頭の中を巡らせただけの意見が、如何(いか)にあてにならないかを知り抜いていたのです。激動期の困難にぶつかったときは、身体全体で練り上げた「止むに止まれぬ思い」、則ち胆識レベルから出て来る意見でないと全然役に立ちません。

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No.139 人間の価値は、どんな念子を発して生き抜いたかで決まる

◇人間は、精神エネルギーの放出体◇

人間の特徴は、その活発な精神活動にあります。感じたり、考えたり、願ったりした事を、絵に描いたり、物で作ったり、言葉に表したりします。他の動物に比べ、その創造性たるや格段に高いものがあります。

人間は、精神エネルギーの放出体です。人間から発せられる心のエネルギーには無限と言ってもいいほどの力があり、本連載では、分子、原子、素粒子に倣って、それを「念子」と呼んできました。

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No.138 囚われや拘(こだわ)りを超えた、真に自由な世界

◇「賢しらな輩」が国を傾け、国民を苦しめてきた◇

こうして老子の政治原理は、「賢しらの人為」を否定するところにありました。才能と欲望を、可能な限り結ばないよう促したのです。

才能には高低の差があり、欲望には公私の違いがあります。問題は、才能の高い人が私的な欲望を膨らませてしまうところにあります。優秀な者ほど、自分の才能に溺れ、私利私欲に走ってしまうのです。老子が否定しているのは、まさにそこでした。

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No.137 晋作のような人物が、100人出てきたら日本は変わる

◇幕末志士たちも、道家の教えを身に付けていた◇

幕末の志士たちが活躍出来たのも、道家の教えを身に付けていたからです。その代表格である高杉晋作の漢詩を紹介します。

「万物元来始終あり
人生況(いわん)や百年の躬(きゅう)少なし
名を競い利を争う営々として没す
識(し)らず何の楽しみか此(こ)の中(うち)に存せむ(ぞんぜん)」

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No.136 賢の脆(もろ)さ、愚の強さ

◇賢しらだと、知識や能力を自分中心に使ってしまう◇

人民は賢くさせるのではなく、愚かにさせよ。そう教える『老子』第六十五章の内容を、そのまま肯定する人は少ないでしょう。人民を愚かにさせよとは何事だ、教育で知識や智恵を身に付けさせてこそ、人は成長して幸せになれるはず。それなのに愚民政治を勧めるとは、人を馬鹿にするにも程があると。

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No.135 賢しらの智恵で治めると、国を損なう

◇単なる知識は、ときに人間を不感症にする◇

さらに、単なる知識は、ときに人間を不感症にしてしまいます。何事も(意思伝達の手段としての)言葉を通してしか、情報を感知出来ないという状態に陥って、感性が甚(はなは)だ鈍ってしまうのです。

「賞味期限」などという言葉も一例でしょう。あらゆる食品に賞味期限が付けられたことによって、食べられるかどうかを察知する感覚(嗅覚や味覚)が放棄されてしまいました。

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No.134 自由が御祭神の“自由教”、平等が御本尊の“平等教”

◇知識が増えるほど、部分観に陥ってしまう◇

人間生活にとって知識はとても重要ですが、何事も過ぎれば害となるもので、知識も偏れば弊害が生じます。

そもそも知識の基本は「言葉(文字を含む)」にあります。言葉には、それが何であるのかを定義付けていく働きがあります。それによって理解と分類が進むのですから、言葉の働きほど重要なものはありません。

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No.133 老子の教えに、いち早く目覚めた者の役割

◇自己崩壊するところまで来た旧資本主義経済◇

略奪膨張型の旧資本主義経済は、資源をどんどん使い、地球環境を破壊し続け、とうとう自己崩壊するところまで来てしまいました。この流れを変えるのが、共生文明に基づく公益資本主義です。

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No.132 同業者は同志でもある

◇そもそも「数」は観念に過ぎない◇

数字で示す評価を軽視するわけではありませんが、数値というものは、人を評価する上での指標の一つに過ぎないということも知っておくべきでしょう。哲学的に言えば、そもそも「数」は観念(頭の中で固定化された考え)でしかありません。

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No.131 社員は道具であり、「代わりはいくらでもいる」と物扱い

◇単なる強引な振る舞いを、熱心さと勘違い◇

プラスの余韻を残すべきで、徒(いたずら)に満腹にさせるだけではいけない。単なる強引な振る舞いを熱心さと勘違いしたり、しつこいだけの追究をトドメと取り違えたりしていると、本当に相手の満腹、さらに腹痛を導くだけとなってしまいます。

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