◇単なる知識は、ときに人間を不感症にする◇
さらに、単なる知識は、ときに人間を不感症にしてしまいます。何事も(意思伝達の手段としての)言葉を通してしか、情報を感知出来ないという状態に陥って、感性が甚(はなは)だ鈍ってしまうのです。
「賞味期限」などという言葉も一例でしょう。あらゆる食品に賞味期限が付けられたことによって、食べられるかどうかを察知する感覚(嗅覚や味覚)が放棄されてしまいました。
◇単なる知識は、ときに人間を不感症にする◇
さらに、単なる知識は、ときに人間を不感症にしてしまいます。何事も(意思伝達の手段としての)言葉を通してしか、情報を感知出来ないという状態に陥って、感性が甚(はなは)だ鈍ってしまうのです。
「賞味期限」などという言葉も一例でしょう。あらゆる食品に賞味期限が付けられたことによって、食べられるかどうかを察知する感覚(嗅覚や味覚)が放棄されてしまいました。
◇知識が増えるほど、部分観に陥ってしまう◇
人間生活にとって知識はとても重要ですが、何事も過ぎれば害となるもので、知識も偏れば弊害が生じます。
そもそも知識の基本は「言葉(文字を含む)」にあります。言葉には、それが何であるのかを定義付けていく働きがあります。それによって理解と分類が進むのですから、言葉の働きほど重要なものはありません。
◇自己崩壊するところまで来た旧資本主義経済◇
略奪膨張型の旧資本主義経済は、資源をどんどん使い、地球環境を破壊し続け、とうとう自己崩壊するところまで来てしまいました。この流れを変えるのが、共生文明に基づく公益資本主義です。
◇そもそも「数」は観念に過ぎない◇
数字で示す評価を軽視するわけではありませんが、数値というものは、人を評価する上での指標の一つに過ぎないということも知っておくべきでしょう。哲学的に言えば、そもそも「数」は観念(頭の中で固定化された考え)でしかありません。
◇単なる強引な振る舞いを、熱心さと勘違い◇
プラスの余韻を残すべきで、徒(いたずら)に満腹にさせるだけではいけない。単なる強引な振る舞いを熱心さと勘違いしたり、しつこいだけの追究をトドメと取り違えたりしていると、本当に相手の満腹、さらに腹痛を導くだけとなってしまいます。
◇あと少しで完成するというところで失敗してしまう◇
あとちょっとのところで何故止めてしまったのか。もう少し続ければゴールに到達したのに。そんな悔いが、誰の人生にも時々起こります。
途中で嫌になる理由とは何か。一番は「飽きてしまう」ということでしょう。
以前のように成果が出ない。成長を実感出来ないから達成感が湧かない。
結局、やっていることの意味が分からなくなる。それで息切れし、気持ちが続かなくなって止めてしまうのです。
◇勝とう、勝とうと思うほど負けてしまう◇
相手に勝とう、勝とうと思うほど負けてしまう。お客様に売ろう、売ろうと
迫れば買って貰えない。そういうものだから、もっと肩の力を抜いて楽に行け。
先輩や上役は、スランプに陥った後輩や部下にそう諭します。
◇「辛酸を嘗めた昔の苦労が、その後の自分の基礎になる」◇
松下政経塾「五誓」第一条「素志貫徹の事」の中に、「成功の要諦は、成功するまで続けるところにある」という言葉があります。塾では、毎朝これを唱えました。成功の秘訣は、成功するまで諦めずに続けるところにあるという意味であり、指導者の持つべき大切な心得として、松下幸之助塾長が殊の外重視された精神です。
◇まだこれから進化発展出来るという「柔軟な器」が欲しい◇
第六十四章の意味を少しずつ述べてまいりましょう。「安定しているものは保持し易い」。安定の意味は、先にも述べたコマの例え話の通りです。中心軸にブレが無く、活発に動くことで、まるで止まっているかのように見えてしまう状態が安定です。
◇成功しても幸せにはなれない◇
小さい内に処理すれば、何事も難しくない。これは前章で学んだ心得ですが、第六十四章にも同様の内容が出てきます。物事を進める上での注意事項が、さらに示されているのです。
例えば、焦らないで一歩一歩進めるべきことや、野心を抱いたり、固執したりしないこと。また、締め括りをしっかりやることや、知識に囚われないで自然の原理に則るべきことなどが、教えとして出てきます。