◇老子は、見かけはパッとしないものの中身が優れている人を理想とした◇
見かけと中身を比べたとき、世の中には、いくつかのタイプの人がいることに気付かされます。表と裏、実と虚で見れば、大きく4つのタイプに分類されるのです。「表」は外面や見かけ、「裏」は内面や中身、「実」は充実、「虚」は空虚のことです。
連載
No.9 叱って貰えることの有り難さ
◇怒られているのに嬉しくなるのはなぜ◇
上の立場の人から怒られたら、誰だってムカッときます。でも、嬉しさを感じる場合もあります。それは、自分に対する慈愛を感じたときです。自分に目を掛けてくれていることが分かり、温かさを受け止められたときなら、怒られているのに嬉しくなるのです。
No.8 本当に命懸けになっている人ほど、命を大切にしている
◇それでは死滅あるのみ◇
老子は、さらに語ります。「今、慈愛を捨てて勇者になろうとし、倹約を捨てて広く施そうとし、人後に回ることを捨てて先頭に立とうとすれば、死滅あるのみとなる」と。
慈愛があれば、誰かのため何かのために勇気を奮うことになります。慈愛は他者に向かうものだからです。それが無いということは、自分中心の勇気、則ち蛮勇となりかねません。個人的な怨みや怒りで、人や物にぶつかってしまうのです。
No.7 愛がなければ勇気は起きない
◇道家の聖人として生きるための、大切な三つの心得◇
では、表面的な生き方に陥らず、単なる世間知らずや、器の小さい人間にならないためには、一体どうしたらいいのでしょうか。老子は「私には三宝があり、しっかり持ってこれらを守っている」と言いました。「三宝」とは、道家の聖人として生きるための、大切な三つの心得のことです。
No.6 読書は、自分を大きくするためにある
◇浅く学ぶと、器量が小さくなる◇
「もし(儒家と)似ていれば、とっくに小さなものになっていただろう」。
この言葉の意味について考えてみましょう。
儒家のキーワードに、仁・義・礼・智・信・徳などがあります。真心の「仁」、筋を通す「義」、理解力の「智」、誠実の「信」、品格の「徳」。これらは、いずれも大切な徳目です。
No.5 大きな考えは愚かに見える
◇目を丸くした面接担当者◇
世の中の多くの人が、「老子は大きいことを言っているが、愚かであって役に立たない」と言いました。それに対して老子は、「大きな考えは愚かに見えるものだ」と応じました。
ひょっとして、老子はすねていたのかも知れません。俺の思想は、分かる人にだけ分かればいいという開き直りを感じるのです。
No.4 どこから見てもアホ。それが大人物というものの性格
◇大人物は、特定の知識や能力、才覚でのみ世に立つ人ではない◇
あまりにも大きい人物は、賢者なのか愚者なのか、なかなか見当が付きません。うっかり大人物を部下に持てば、何かの役を任せようにも相応しい場所が見つからず、使いようがなくて持て余すことになります。
No.3 上に立つ人、前を行く人の心得
◇どうしたらいいのか分からなくなって、身動きが取れなくなる◇
下に位置して沢山の谷川を集める、大河や大海のごとき人物の謙虚さ。
これについて、老子の言葉が続きます。「人の上に立とうと欲するならば、必ず言葉を謙虚に」せよと。
立場や能力、それに伴う経験や実績が上の人ほど、そうでない人に対して言葉を謙虚にしなさいと諭したのです。
No.2 背伸びせず、どっしりと構え、常にへりくだって生きる
◇本当の力強さは、力を抜いたときに発揮される◇
小学生の頃、ソフトボールに熱心だった時期がある。上手くはないが好きであり、同級生や近所の子供たちと一緒にチームを作ったこともある。
中学校では殆どやらなかったが、高校一年生のとき、不思議なホームランを打ったことがある。バットを軽く振っただけで、全くボールに当てた感触が無い。なのに、ボールは大きな弧を描いて飛んでいき、外野手のはるか後方に消えていった。
No.1 上にいる者から、もっとへりくだれ
◇よく出来た人間には、本当の強さがある◇
「よく出来た人間は、へりくだっている。それは、本当の強さがあるからだ」。
そう教えているのは、江戸時代中期にまとめられた武士道書の『葉隠』です(聞書第二)。武士道書だから、激しい内容ばかりかと思うと決してそうではありません。