◇臨界点を超えると勢い良く進むようになる◇
どんな分野であれ、物事を広めていく作業には、大変な努力が必要となります。普及には普及の心得なり工夫というものがあるのです。それについて、少し補足しておこうと思います。
連載
No.19 本物が広まらないのはなぜか?
◇本物追究と普及伝達は、別の努力で成り立つ◇
ところで、老子や孔子の教えが、本物なのになかなか広がらなかったという原因は、一体どこにあったのでしょうか。その理由として、ある物事が本物になるということと、それが広がるということは別の努力によって成り立っているという事実を挙げねばなりません。
No.18 老子も孔子も「分かってくれる人がいない」ことを嘆いていた
◇世間は分かってくれず、行ってもくれない◇
第七十章の内容を、加筆しながら分かり易くまとめてみます。
私の教える内容は、当たり前のことばかりだ。天地自然の原理である「道」を説いているのだから、そのまま素直に学んでくれたらいい。本当にこれ以上理解し易い教えは、他には無いはずである。
No.17 真意を人に伝えるのは大変
◇会話や会議、なかなか満足のいくやり取りにならない◇
真意を人に伝えるということ、さらにそれを相手に実行して貰うということは、本当に骨の折れる作業です。一つの例ですが、フェイスブックの投稿に対するコメントを端(はた)から見ておりますと、言葉尻を捕まえた反論であったり、枝葉末節や部分に拘(こだ)った感想であったりすることが、随分多いことに気付かされます。
No.16 「人類共生連合体」を創設しよう
◇戦争は好んではならないし、備えを忘れてもいけない◇
続いて老子は「禍は、敵を軽んずるよりも大きなことは無い」と述べました。「敵を軽んずる」というのは、戦争を甘く見るということです。戦争は好んではならないし、備えを忘れてもいけません。
もしも「敵を軽んずれば、殆どの吾が宝を失ってしま」います。戦争を甘く見れば、土地や人民という宝を失い、酷ければ主権を失うことにもなるのです。
No.15 敵というものは、実はこちらが作り出している
◇攻めないで退くほうが、却って小国を従えることになる◇
「攻め手とならず受け手となり、一寸を進むよりも一尺を退く」。この、こちらから攻めようとせず、進むよりも退くという姿勢こそ、王道哲学に則った防衛策の基本です。特に、大国から攻めることを止(や)め、小国に対して余裕を示すことが大事になります。
No.14 こちらが押せば、相手も押し返してくる
◇攻撃側に立つよりも、防御側に回れ◇
「吾、敢えて攻め手とならず受け手となり、敢えて一寸を進むよりも一尺を退く」というのが、第六十九章の最初の内容です。攻撃側に立つよりも、防御側に回れ。前進することよりも、後退することを心掛けよ。そういう教えが兵法にあるとのことです。
No.13 闘争が繰り返されるばかりでは、平和も幸福も永遠にやって来ない
◇勇壮な祭りにケンカは付き物◇
筆者の出身地である静岡県浜松市は、4帖から8帖の大凧による「凧揚げ合戦」が有名です。毎年、5月3日から5日にかけて行われ、町内毎(組毎)に揃いの法被(はっぴ)を着用して皆で凧を揚げます。
合戦というのは、凧糸の切り合いのことです。勇壮な祭りにケンカは付き物で、合戦中に取っ組み合いが起こることもあります。
No.12 自分よりも優れた者たちを受け入れていくのが名将の器
◇威張ることが好きな「御山の大将」◇
「御山(おやま)の大将」という言葉があります。御山は小山(おやま)と同じで、小さい山の上、つまり小集団の中で、自分が一番偉いと思って威張っている者のことです。
「御山の大将」は、傲慢に振る舞える場を欲しています。威張ることが好きですから、そのために「何でも言うことを聞く者」を集めようとします。
No.11 戦上手は、敵の誘いに乗らない
◇威張っている内は二流か三流◇
「優れた士」、則ち立派な武士は、決して荒々しくありません。気弱なのに強そうな態度を取ったり、相手を怖がらせるために虚勢を張ったりしません。実力以上に有能そうに見せることもないのです。