◇人を育てる基本はマンツーマンにある◇
人に何かを教え、人を育てるということの基本。それは結局、マンツーマンにあると言えます。小さな集まりの利点の一つに、マンツーマンで教え易いということがあります。会なら師匠から生徒や弟子へ、会社なら社長から社員へ、大きな集まりに比べて人数が少ない分、一人ひとりに直接教えられる機会が多くなります。
◇人を育てる基本はマンツーマンにある◇
人に何かを教え、人を育てるということの基本。それは結局、マンツーマンにあると言えます。小さな集まりの利点の一つに、マンツーマンで教え易いということがあります。会なら師匠から生徒や弟子へ、会社なら社長から社員へ、大きな集まりに比べて人数が少ない分、一人ひとりに直接教えられる機会が多くなります。
◇身軽な分、レベルを落とさなくて済む◇
根を張ることが大事だからといって強引に根を引っ張り、早く育てなければいけないと焦って力任せに芽をつまみ上げれば、その植物は枯れてしまいます。会や活動も同じで、無理矢理拡大しようとすれば潰れてしまいかねません。
◇分かり易い会ばかりではいけない◇
さて、ここまで述べたことと矛盾するかも知れませんが、どんどん広がる会や、誰にでも分かり易い会ばかりではダメで、広まらない会も必要ということを申し添えておきます。専門家や通(つう)が対象のため、なかなか広がりを見せない会や、集まるのは玄人や達人が中心で、興味本位でやって来る者には敷居が高過ぎるといった会も必要なのです。
◇臨界点を超えると勢い良く進むようになる◇
どんな分野であれ、物事を広めていく作業には、大変な努力が必要となります。普及には普及の心得なり工夫というものがあるのです。それについて、少し補足しておこうと思います。
◇本物追究と普及伝達は、別の努力で成り立つ◇
ところで、老子や孔子の教えが、本物なのになかなか広がらなかったという原因は、一体どこにあったのでしょうか。その理由として、ある物事が本物になるということと、それが広がるということは別の努力によって成り立っているという事実を挙げねばなりません。
◇世間は分かってくれず、行ってもくれない◇
第七十章の内容を、加筆しながら分かり易くまとめてみます。
私の教える内容は、当たり前のことばかりだ。天地自然の原理である「道」を説いているのだから、そのまま素直に学んでくれたらいい。本当にこれ以上理解し易い教えは、他には無いはずである。
◇会話や会議、なかなか満足のいくやり取りにならない◇
真意を人に伝えるということ、さらにそれを相手に実行して貰うということは、本当に骨の折れる作業です。一つの例ですが、フェイスブックの投稿に対するコメントを端(はた)から見ておりますと、言葉尻を捕まえた反論であったり、枝葉末節や部分に拘(こだ)った感想であったりすることが、随分多いことに気付かされます。
◇戦争は好んではならないし、備えを忘れてもいけない◇
続いて老子は「禍は、敵を軽んずるよりも大きなことは無い」と述べました。「敵を軽んずる」というのは、戦争を甘く見るということです。戦争は好んではならないし、備えを忘れてもいけません。
もしも「敵を軽んずれば、殆どの吾が宝を失ってしま」います。戦争を甘く見れば、土地や人民という宝を失い、酷ければ主権を失うことにもなるのです。
◇攻めないで退くほうが、却って小国を従えることになる◇
「攻め手とならず受け手となり、一寸を進むよりも一尺を退く」。この、こちらから攻めようとせず、進むよりも退くという姿勢こそ、王道哲学に則った防衛策の基本です。特に、大国から攻めることを止(や)め、小国に対して余裕を示すことが大事になります。
◇攻撃側に立つよりも、防御側に回れ◇
「吾、敢えて攻め手とならず受け手となり、敢えて一寸を進むよりも一尺を退く」というのが、第六十九章の最初の内容です。攻撃側に立つよりも、防御側に回れ。前進することよりも、後退することを心掛けよ。そういう教えが兵法にあるとのことです。