◇天治は、徳治・礼治・法治を包含している◇
徳治・礼治・法治を述べましたが、これらの上に老子の教える「天道による政治」、則ち「天治」があります。天治は徳治・礼治・法治を包含し、これら全体をカムナガラ(自然のまま)に包み込んでおります。(注:「天治」は筆者の造語)。
◇天治は、徳治・礼治・法治を包含している◇
徳治・礼治・法治を述べましたが、これらの上に老子の教える「天道による政治」、則ち「天治」があります。天治は徳治・礼治・法治を包含し、これら全体をカムナガラ(自然のまま)に包み込んでおります。(注:「天治」は筆者の造語)。
◇2人は積極的、6人は大勢順応、残りの2人は消極的◇
「2・6・2の法則」を、どこかで聞いたことがありませんか。10人の組織なら、2人は積極的に動き、6人は大勢(たいせい)に従い、残りの2人は消極的、または反発するという分類です。自燃性2割、可燃性6割、不燃性2割と説明する人もいます。
◇本来、天道には善も悪も無い◇
では、そもそも「悪」とは何でしょうか。本来、天道には善も悪もありません。一切が、あるがままに存在し、カムナガラ(カミさながら、自然のまま)に活動しているだけです。人為的な意図や計らいが無いのです。
◇「天網」は悪人を捕らえて逃がさない◇
天地自然の原理を生かせば、人も社会も自ずとよく治まるとのことですが、その働きの一つが「天罰」です。何か悪いことをすれば、自然の報いや天の裁きによって必ず天罰が下る。だから、人為の刑罰はほどほどにして、処罰などという「し辛い事」は、天に任せればいいというのが老子の考え方です。
◇徳治、法治、そして天治◇
人徳を高めれば、人が人を導くことが出来、それによって社会は安定する。
それが、徳を尊ぶ儒家の考え方です。
法と罰によって人が人を裁くことで、世の中の秩序は維持される。
それが、法を重視する法家の見解です。
◇法と刑罰が成り立つためには、善悪の基準というものが必要◇
法家は、人を教え導くということを端(はな)から放棄していると述べました。人の徳性を高めるための教化など、しても意味が無いという考えに立っているのです。
◇普通の人によって社会が成り立っている◇
儒家の基本は教化にあります。人は学問によって成長するということを前提に、人間性の高い社会をつくろうと志しています。そして、教化によって立派な人、則ち君子(くんし)が増えて徳で治まる世の中になれば、法と刑罰などというものは、必要最小限で済むようになると考えたのです。
◇自然の報いや天の裁きがある◇
「天罰」という言葉があります。悪いことをすれば、自然の報いや天の裁きによって必ず天罰が下ると。老子はそう考えて、人為の処罰はしないで天に任せればいいと言いました。
◇無為を為す~為さないことを意識して行う◇
「無為」とは為さないことです。為さないことを意識して行えば「無為を為す(為無為)」ということになります。
「やらないことをやる」とは一体何だろう、回りくどい表現だと思うかも知れませんが、この「無為を為す」ところに道家の生き方の真髄があります。やれるけれども将来のためにやらないとか、作れるけれども全体を考えた結果つくらない、などという姿勢が、この「無為を為す」なのです。
◇威光で以て無理矢理治めようとしない◇
人為の政治の極致に位置する刑罰政治ばかり行うと、互いに疑い、訴え合う争奪社会に至ってしまうというところまで述べました。それに対して老子は、自分を無にする生き方を勧め、無為の政治を説きます。