仏教の教典に、次のような教えがあります。
「仏教の修行を重ね、勉強が進むと、いろいろな障害(しょうがい)や邪魔(じゃま)が次々現れてくるものだ。それらに引きずられてしまってはいけないし、恐れて動けなくなるのもいけない。引きずられたら間違った道に迷い込むし、恐れたら正しい修養にならないからだ」(摩訶止観第五、まかしかんだいご)。
仏教の教典に、次のような教えがあります。
「仏教の修行を重ね、勉強が進むと、いろいろな障害(しょうがい)や邪魔(じゃま)が次々現れてくるものだ。それらに引きずられてしまってはいけないし、恐れて動けなくなるのもいけない。引きずられたら間違った道に迷い込むし、恐れたら正しい修養にならないからだ」(摩訶止観第五、まかしかんだいご)。
10 思想尊重(しそうそんちょう、)
この世に存在する、すべての物に意味があります。意味もなく、偶然(ぐうぜん、たまたま)現れる存在はありません。必ず、原因や理由があって発生し、物となり存在となり、そして結果となります。生物であろうが、無生物であろうが違いはありません。目に見える物質世界と、目に見えない精神世界の区別もありません。この、原因と結果がつながっていることを、因果(いんが)の法則といいます。
世の中には、無数と言っていいくらい沢山(たくさん)の職業があります。その、どの一つを抜き去っても、社会全体が困ってしまいます。世の中から農業がなくなれば、食べ物が無くなって困ります。建設業がなくなっても、理髪業(りはつぎょう)が消えても、社会全部が困ってしまうのです。それが正しい仕事であれば、すぐに困るか、段々(だんだん)影響が及んできて困るかは別にして、誰もが大変困ってしまうのです。
9 職業尊重(仕事を尊ぶ)
◆どんな仕事も尊くて必要
すべての仕事が必要であり、この世に貴(とうと)い仕事も賤(いや)しい仕事もありません。そのことを「職業(しょくぎょう)に貴賤(きせん)なし」といい、子供でも知っていることです。
また、明治天皇は、日常生活にお用いになる道具や家具を、破れたら繕(つくろ)われ、壊れたら修理され、最後まで大切に使われました。
毎日お詠みになる御製(ぎょせい、天皇陛下のお歌のことで、明治天皇の御製は9万3千首を超えた)も、不要になった封筒を開いてその裏側に書かれ、新しい紙をお用いになるようなことは一度もなかったそうです。
紙一枚や、火をおこすときに使う炭(すみ)の欠片(かけら)一個も、それを生かさずに捨ててしまうようではいけません。10キログラムの荷物を背負えない者が、100キログラムの荷物を背負えないのと同じで、一滴の醤油(しょうゆ)や一本のマッチ、小さな電灯(でんとう)の灯りをムダにしてしまい、大切にできないような者に、人間と人格を尊重することなど、できるはずがありません。
8 人格及び物格の尊重(人にも物にも、それぞれ個性と価値がある)
「その人らしさ」を人格といいます。人格は、人によって違うところの、人間性や人柄(ひとがら)のことです。人によって違うのですから、人格尊重とは、一人ひとりの個性尊重に他(ほか)なりません。
今から述べることは、光りの原理の応用だと思って下さい。
米の粉(こ)が「俺は団子(だんご)の本体だ。この俺がいなければ、決して団子はできない」と威張(いば)っていたとします。そこで、米の粉をそのまま3年置いたままにしたらどうなるでしょうか。そのまま自然に団子に変わるということはありえません。
闘争は滅亡への道です。赤色が闘争によって、すべてを赤色にすれば、そのときが赤色の滅びるときです。青色が闘争によって、すべてを青色にしたときも、青色が滅びるときとなります。ある党が絶対的な大勝利を収めれば、そのときがその党の終わるときとなります。
6 光りの哲理(光りが教える、生命が成り立つ仕組み)
太陽は、人間にとって大切な道義や道徳のお手本を示しています。そのことは、すでに述べた通りです。さらに、一切(いっさい)の平和の根本であり、生命の本源となるところの、光りの哲理を教えてくれています。