「原大本徹」のもう一つは徹底です。徹底は、人生の大木の「枝葉」にあたります。本氣の「幹」から枝葉が豊かに繁るよう、知恵を使い工夫を施しましょう。
ここまで述べてきたことに従って、原点を確立し、大局の範囲を広げ、本氣の志を立てたというのに、なかなか成果が生まれないということがあります。その場合、知恵や工夫が不十分であるかも知れません。良い物・良いアイデア・良い仕組み・良い人というだけでは、まだダメで、世に広まっていく英知が足りないのです。
「原大本徹」のもう一つは徹底です。徹底は、人生の大木の「枝葉」にあたります。本氣の「幹」から枝葉が豊かに繁るよう、知恵を使い工夫を施しましょう。
ここまで述べてきたことに従って、原点を確立し、大局の範囲を広げ、本氣の志を立てたというのに、なかなか成果が生まれないということがあります。その場合、知恵や工夫が不十分であるかも知れません。良い物・良いアイデア・良い仕組み・良い人というだけでは、まだダメで、世に広まっていく英知が足りないのです。
中国思想の大家も、志の大切さを教えていました。孟子は「志は氣の帥」と述べ、志があれば身中から氣が、どんどん引き起こされるということを教えました。また、王陽明は「志立たざれば天下に成るべきの事なし」と説いて、あらゆる成功は立志の結果であるということを明らかにしました。義を尊ぶ孟子の思想は、とても情熱的であり、知行合一を説く陽明学は、東洋思想の中で一番の行動哲学です。
続いて、「原大本徹」の本氣について述べます。松下幸之助は、松下政経塾生に「君、それ本氣か」と問い掛けました。何事も本氣なら実るが、中途半端では実るはずのものも実らないで終わってしまうという指導です。
本氣の「本」は、木の根もとを表している漢字です。原点である「種」から芽を出し、地上にしっかりそびえ立つ大木の、その根もとが「本」です。
次に、原点・大局・本氣・徹底、略して「原大本徹」の大局について述べます。大局は「人生の大木」の「根」にあたります。根はセンサーとも言え、根の届いているところまで「我が事」の範囲と広がります。根に触れることに対して、放っておけない、見捨てるわけにはいかないという意識が起こることになるのです。
そして、原点は何層かあるのが普通です。先に述べたように、「自分の原点はこれだ」とすんなり答えられたからといって、それで原点を確実に掴めたかというと、決してそうではありません。原点は数層あり、表層だけ見えたからといって安心するわけにはいかないのです。
さて「原点」「種」「素志」を、何とかして自力で見つけようとして苦しんでいる人のために補足を述べます。いくら藻掻(もが)いても自分の中に原点を見つけられないという場合は、無理しないで肩の力を抜き、一旦(いったん)目を外へ向けてみて下さい。
では、自分にとっての原点を考えてみて下さい。まず、今取り組んでいることや、今やっている仕事の原点を見付けてみましょう。その際、「そもそも」に続く言葉を書き出してみると、スムースに浮かんでくるはずです。
例えば、今医学の勉強をしているなら、そもそも何がきっかけで医道を選んだかを振り返ってみるのです。家族や身近な人に病で苦しむ人がいたことが原点であるとか、子供の頃に出会った医者を尊敬したことが原点になっているといったことが、きっと見えてくると思うのです。
人生の種である原点を探す際に、考慮して欲しいキーワードがあります。それは、真心や愛情の「仁」と、正しいことに筋を通す「義」です。
仁は「イ(にんべん)」と「二」が組み合わさった漢字(会意文字)で、人が二人いることを表しています。その二人は、見知らぬ誰かと誰かという観念ではありません。頭の中だけでイメージする観念では、単なる空想になってしまいます。一体誰のことか分からず、行動につながる意志はなかなか芽生えません。
では、原点・大局・本氣・徹底について、それぞれ解説してまいりましょう。
最初に「原点の確立」についてです。原点とは「人生の種であり、あらゆる成長の元になる」ものです。その「種」は「何のため誰のために生きるのか」という「素志」でもあります。
◆綜學の志士育成法~原点・大局・本氣・徹底◆
◇大木のように、ぶれることのない立志大成を!◇
第一章で「綜學とは何か」について、筆者の生い立ちを紹介しながら述べました。もう一度復習しますが、綜學は文明論・日本学・東洋学などを柱とする綜合学問のことで、「知」「情」「意」に分けられます。