その80 名利にあくせくするようでは、人間が軽過ぎる

中国思想の特徴の第四は、「山の思想」と「谷の思想」があるということです。「山」は堂々とした威厳であり、そのバックボーンとなっているのが「山の思想」です。先述の「修身斉家治国平天下」を教える儒学が、その人の「山」を作り上げます。

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その79 自分が変わらなければ国は変わらず、天下も良くならない…

中国思想には、いくつかの特徴があります。それらを知りますと、思想の全体像を掴めることになります。

その第一は、今述べた通り経世的、現実的であるということです。例えば『論語』に、「民から信頼を受けることなら出来るが、民に情報をしっかりと知らせるのは難しい」と書かれた箇所があります。指導者が民衆に対して、自分という人間を信じて貰うことは可能だが、伝えたい内容を細かく知らせるのは不可能に近いという意味です。

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その78 第4章「綜學各論~中国思想と仏教思想」

◆中国思想概論◆

◇インドは宇宙的、チャイナは政治的、日本は綜合的◇

本章では綜學の各論として、中国思想と仏教思想について述べます。まず中国思想からですが、既に武士道のところで朱子学などに触れています。ここでは中国思想の全体像を、概論的に解説することにします。

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その77 武士道は国民精神の基本

本章では、綜學の三本柱である「知の文明法則史学」「情の大和言葉」「意の東洋思想」を解説し、三つ目の「意」の内容として武士道を述べてきました。

武士道精神は、決して過去のものではありません。「知の文明法則史学」のところで説明した800年周期論を思い起こして下さい。地球文明は大きく「東」と「西」に分かれ、両者は800年毎に交代します。入れ代わって、それまで高調期(活動期)であった側は低調期(休息期)に入り、低調期であった側は高調期に転換します。

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その76 威厳の源~日々本氣を貫き、狂氣を維持せよ!

「武士道とは死ぬことだ」。この「死ぬ」という言葉には、拘(こだわ)りや囚(とら)われ、しがらみの削ぎ落とし、あるいは名利への迷いから離れるための「私心の死」という意味もあるでしょう。この身にこびり付いた様々な世間的付き合いが手枷足枷となり、イザというときに腰抜けとなってしまうことのないよう、日々本氣を貫き、狂氣を維持せよというのが『葉隠』の教えなのです。

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その75 毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になれ

人間をよく観察していた山本常朝には、武士も人の子であるということがよく分かっていました。それで「自分だって誰だって、生きる方が好きに決まっている。その生きる方に、いくらでも理屈は付く」と言いました。

でも、生きる方に理屈を付けたまま何もしないでおれば「成功しないまま、おめおめと生きて」いるだけとなります。そのままだと「結局立ち向かわなかったのだから腰抜けでしかない」ということになってしまうと。

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その74 やるかやらないか以前に、意識しておくべきこと

「成功する」は、『葉隠』の原文では「図に当たる」です。「図」は意図や図星の図で、「図に当たる」は思った通りになるという意味です。

やる以上、認められたいし、褒められたいし、凄い奴と思われたいものです。思った通りの成功は誰もが欲することですが、山本常朝は「成功しなければ犬死だからつまらない」という考え方が、そもそもよくないと諭します。

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その73 一回限りの人生を、何に懸けたら本望なのか

さらに『葉隠』は、我々に対して次のような覚悟を求めてきます(意訳:林)。

「武士道とは死ぬことだ。生きるか死ぬかという場面に出くわしたら、早く死ぬ方を選んで迷いを片付けよ。別に理由なんて無い。腹を据えて進むのみだ。

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その72 大高慢は、目立ちたがり屋や生意気屋とは全然違う

山本常朝が僧侶の姿をしているのは、仕えた主君が亡くなり、その冥福を祈るためでした。本当は後を追って腹を切りたかったのですが、既に幕政は武断政治から文治政治へ転換しており、家臣を失うことになる殉死は禁止されていました。それで、山本は出家の道を選んだのでした。

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その71 たとえ浪人切腹となろうが、決して変えてはならない精神

鮮血がほとばしるかのような“切れ味の良い”武士道書。そのように称される『葉隠』の冒頭の文を見てみましょう(意訳:林)。

「お役御免となって浪人になることも、命ぜられて腹を切ることも、それぞれ一つのご奉公である。浪人となれば山の奥に身を潜め、切腹すれば土の下に眠ることにもなるが、我が身がどうなろうとも、永遠に我が鍋島藩を心配する心入れが大事だ。そこに鍋島侍の覚悟の初門(入り口)があり、同時に我らの骨髄があるのである。

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