(1)の「主観+表観」は、自分が感じた事を軸に、目に見える世の中に向けて働き掛けていこうとするタイプです。自分を信じ、実力・実績を重視する、政治家・事業家などがそれです。
(2)の「客観+表観」は、人間や社会はこうあるべきだという最善の状態を定め、それを理性的に実現させようとするタイプです。規範や規則を決め、それを破る者に注意し取り締まろうとする、道徳家・法律家などがそれです。
(1)の「主観+表観」は、自分が感じた事を軸に、目に見える世の中に向けて働き掛けていこうとするタイプです。自分を信じ、実力・実績を重視する、政治家・事業家などがそれです。
(2)の「客観+表観」は、人間や社会はこうあるべきだという最善の状態を定め、それを理性的に実現させようとするタイプです。規範や規則を決め、それを破る者に注意し取り締まろうとする、道徳家・法律家などがそれです。
「見」と「観」の違いについてですが、「見」が目で見るのに対して、「観」は見て考えること、即ち心で観ることを表します。心で観る以上、同じ物を見ていても、心がどう受け止めるかは人によって違います。同じ人であっても、その時時(ときどき)によって観え方は変化いたします。ですから、いろいろな観があることになります。
それから、表観と客観についてです。文字通り、物事を表面から観るのが表観、裏面から観るのが裏観です。
表面を観るというのは、表に現れる値打ちや、目に見える価値を観ることです。人が相手ならば、その表面に出ている個性や特性、学歴・経歴・地位・肩書き・名誉などを観察します。
主観と客観の説明を、もう少しします。どこか目立つところに、花が生けてあったとしましょう。沢山の人が通り過ぎる中、花を美しいと感じる人から、花の存在に全然気付かない人までいます。
主観に上(のぼ)らなければ無いのと同じであり、気付かなかった人にとって花は無かったことになります。花であれ何であれ、存在は主観で感覚されてこそ意味を持つのです。
四元論を述べるときに外してならないのが「四観」です。四観は、「主観」「客観」「表観」「裏観」の四つの観方のことです。これらが融合されますと、四元論としての綜合的観方が形成されます。
景色や花などを見たときに、それを美しいと感じるのは主観の働きです。「見」は網膜に映った段階に過ぎず、それを「綺麗だな」と心で観るのが主観です。文化や芸術は、主観をよく働かせることで、それまで無かったものが創造されます。
この四元論を用いますと、今までいかに二者択一思考に囚われていたかに気付かされます。どれほど勉強しても、基盤が二元論のままでは、結局部分観から抜け出すことが出来ません。知識が増えれば増えるほど、思考が断片的になってしまう恐れがあります。
もともと四元論は、王陽明解説の「大学三綱領」を、分かり易く説明するために図示したのがきっかけでした。そのときの文を、そのままご紹介します。29歳頃の文章ですから、稚拙であることはご勘弁ください。
「陽明学と志」 林 英臣
それから、公智・公愚・私愚・私智の「智」を「得」に、「愚」を「損」に置き換えてみてください。そうしますと、さらに理解が進むと思います。
マトリックスの右上が「公得」、左上が「公損」、左下が「私損」、右下が「私得」となります。
明治以来の教育は、国民を平均化させる性格を持ちました。近代国家建設のため、国民の資質・能力を揃える必要があったのです。
そして、この平均化教育と西欧的な個人主義が相俟って、自己中心的な私愚タイプや私智タイプが増えてしまいました。
しかし、希望はあります。公智タイプは基本的にどの国でも尊敬されており、教育において目指すべき方向であることに間違いはないからです。
公智・公愚・私愚・私智の四元論の補足です。
左上(2)の公愚タイプは、人物が萎縮し易いことに注意しましょう。せっかく公の精神を持っているのですから、もしも公正さを妨げる出来事が起こったり、不正を働く人を見たりしたら、もっと憤るべきです。
則天武后撰『臣軌』の内容を元に四元図を描き、右上が(1)の公智タイプ、左上が(2)の公愚タイプ、左下が(3)の私愚タイプ、右下が(4)の私智タイプであるということを述べました。
これら四タイプに、個々に学んで貰いたい事柄があります。ここは大事なところですので、それぞれの性格と注意事項について、再度述べながら説明していきます。