では、少しずつ解説してまいります。まず「道とは何か。それは、国民と君主が同じ意志を持つかどうかという、政治的条件のことだ」という文についてです。
ここで言う「道」は、儒教的な「人の道」とは違います。「国民と君主が同じ意志を持つ」ための道であって、上下が一体となれる理念や方針、組織が一丸となって進んでいける目標のことです。それは、戦争以前に求められる国家統一力の軸と言えます。
では、少しずつ解説してまいります。まず「道とは何か。それは、国民と君主が同じ意志を持つかどうかという、政治的条件のことだ」という文についてです。
ここで言う「道」は、儒教的な「人の道」とは違います。「国民と君主が同じ意志を持つ」ための道であって、上下が一体となれる理念や方針、組織が一丸となって進んでいける目標のことです。それは、戦争以前に求められる国家統一力の軸と言えます。
『孫子』十三篇の最初は「始計篇」です。「計」は、「言」と多数を表す「十」の合字(会意文字)で、口で言いながら、まとまった数を計りかぞえることです。計略や計画という熟語がありますように、情勢をきちんと計り、それを表明することによって物事は実現するのです。
「始計」は、始めに計るべき基本、即ち開戦の前によく考察しておくべき課題という意味の篇名です。始計篇には、勝つための基本となる五つの要素や、勝算の見極めの重要性など、総論的な内容が記されています。
かつてチャイナに、春秋時代と呼ばれる時代がありました。周王室の権威は次第に衰え、諸侯は互いに対立し、覇者が次々入れ替わります。下の身分の者が上の者を凌(しの)ぐという、下剋上が盛んな乱世に入っていたのです。諸国は、いかにして自国を守るかに知恵を絞らねばならず、いわゆる兵法の専門家が登場する時代になりました。
◇食うか食われるかの陣取り合戦に負けてはならない!◇
戦前から続いていた浜松の老舗百貨店が、平成13年(西暦2001年)多額の負債を抱えて経営破綻。全従業員が解雇され、百貨店発行の商品券は紙屑と化しました。地権者が入り組んでいる跡地は未だに更地状態で、浜松の中心市街地衰退の象徴となっています。
念子は念エネルギーのことで、物理学でいう量子と同様の「超微細な実体」であるとお考えください。人間は念子を出す主体です。祈りや強い願い、確固たる志などは、念子を発生させる元になります。あるいは、感動や感謝したとき、激しい怒りや深い悲しみを起こしたときも念子を出します。
「全体を観る」「核心を掴む」「流れを読む」。この3つは物事の大局を捉える際の綜學的視点であり、これらを働かせる際に必要となるのが直観です。直観は、第六感や霊感、インスピレーションとも言い換えられる認識です。
四観のところで述べたように、主観と客観はバランスが重要です。直観は、特に主観を生かすことで機能するのですが、主観のみに頼りますと、思い込みの当てずっぽうに陥ってしまう弊害があります。感じたままを重んずるのは基本的に良いことであるものの、子供の好き嫌いと同じ状態に偏らないよう注意が要るというわけです。
綜學の「ものの見方や考え方」の補足の続きです。物事の大局を捉える際の綜學的視点として、「全体を観る」、「核心を掴む」、「流れを読む」の3つを挙げておきます。略して「全・核・流」です。この3つは、問題解決に際してのご参考にしてください。
為すことが裏目に出て苦しいときや、上手く行かなくて悩んでいるときに、人はどうしても「ものの見方」が狭くなります。部分に囚われ、目の前しか見えず、消極的になって将来を悲観します。
それから、短期の心得として、信用構築の必要性を述べておきます。とかく本音は行動に現れるものです。それも小事や細事に現れます。そこで、今出来る小事をやっているかどうかや、小さな約束を守れるかどうかが肝腎となり、それらを見れば信用に足る人かどうかが判明することになります。
綜學の「ものの見方や考え方」について、補足をいくつか述べておきます。一つは長期・中期・短期人生目標の「串団子論」です。
3個の団子があり、それらが一本の串で貫かれています。一番上は長期、真ん中は中期、一番下は短期の人生目標を、それぞれ示しております。
「観」にも、いろいろあります。四観を述べたところで、「綜學十二観」をご紹介しておきます。これらは、幸せや成長の基本となる、物事に対する観方のことです。
『綜學十二観(観法十二条)』
第一観【原点を観る】
物事の「種」や根源、きっかけ、素志、先天の徳(天性)などを観る。
※原大本徹の原点にあたる。