いくら勇猛な兵士が揃っていても、バラバラに戦っていたのではダメです。軍全体として統括された戦いが出来るようでないと、個々の戦闘では勝っていたのに大局的には敗戦という結果になります。
また、兵士が大勢(おおぜい)揃っただけでもダメです。部隊編成と指揮系統が確立していないと、ちぐはぐな戦いとなって、やはり大局的には負けていきます。
いくら勇猛な兵士が揃っていても、バラバラに戦っていたのではダメです。軍全体として統括された戦いが出来るようでないと、個々の戦闘では勝っていたのに大局的には敗戦という結果になります。
また、兵士が大勢(おおぜい)揃っただけでもダメです。部隊編成と指揮系統が確立していないと、ちぐはぐな戦いとなって、やはり大局的には負けていきます。
続いて孫子は「地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ずる」と述べました。
「地」は、国土の広さや戦地への距離です。それを計測(度)すれば、確保出来る資源・食糧や投入すべき物資の「量」が読め、そこから養える人口と動員可能な兵士の「数」が分かります。その上で戦力の優位性(称)が定まってくれば、勝利(勝)が見えてくるという次第です。
前線で奮戦し、戦闘で勝ったとしても、本国の政治が悪ければ折角の勝利も水の泡と化します。華々しく戦う将軍の人望が高まり、国民から英雄視された場合、本国の大臣たちが嫉妬して、必要な武器や物資・食糧の輸送を止めてしまうといったことも起こり得ます。味方に足を引っ張られ、酷ければ殺されてしまうことすらあるのですから、将軍は本当に大変です。
「大局の誤りは中局では救えず、中局の誤りは小局では補えない」。これは、筆者が大局観の必要性について話すときの言葉です。
例えば、運動場にラインを引くときは、50メートル以上の巻き尺を用います。部屋の中に家具を入れるときは、数メートルのメジャーを壁に当てます。デスクワークで帳面に線を引くときは、20~30センチの物差しを使います。
こうして真の勝ち方には、名誉も功績も与えられません。しかし「勝利を確保するのに、既に敗れている相手に勝っているから」誤りがありません。「戦いの上手な人は、不敗の地に立ち」、敵が敗北へ向かうよう常に努めているのです。
結論を言えば「勝利する軍隊は、あらかじめ勝っておいてから戦いを起こし、敗北する軍隊は、まず戦いを起こしてから勝利を求めていく」ということになります。
兎に角、素人が熱狂する大技のプレーと、玄人や専門家が評価する巧妙なプレーの間に、大きな開きがあるということを知っておく必要があります。
これが戦(いくさ)なら、前者は民衆の拍手喝采を浴びることになるでしょうが、本当は危険な戦い方です。後者は通(つう)にしか理解されないものの、実は安心感のある勝ち方となります。
何かの競技や戦いで「一般の人々でも分かる程度に過ぎない勝ち方」が起こるのは、大きな実力差があるときか、そうでなければタイミングが偶然合ったことで、たまたま勝利した場合でしょう。派手なスタンドプレーが功を奏し、最初から大技で決着を付けられたようなケースがそれです。
負けない防御と、勝てる攻撃。そのために自軍には「負けない形勢」をつくり、情勢の変化を注視しながら、敵に「勝てる形勢」を待てというのが「軍形篇」の主題です。
そのために、地の底の底に兵を隠し、天の上の上で兵を動かせと孫子は教えました。地の底や天の上は、普通の人間の目に見える所ではありません。そこまで見極めるとなると、それはもう達人的な兵法の玄人や、老練な軍師にしか見通せない世界の話となります。
それから、防御にせよ攻撃にせよ、こちらの形勢が相手から分かり難いことが重要です。そのために孫子は、防御の際は「地の極まるところの下に兵力を隠し」、攻撃の際は「天の極まるところの上で兵力を動かせ」と教えました。
さて、相手から見て「これは勝てないな」と思う状況を、どうやってつくるかです。その基本は、隙(すき)をつくらないことにあります。
君主と側近、政治家と国民、中央と地方などの間に、隙が生まれないよう注意しなければなりません。戦いにおいては、本国と前線、君主と将軍、将軍と士卒の間に溝があれば、相手につけ込まれる隙間となります。