大和言葉の師匠である河戸博詞先生は、国学者の家に生まれたと聞く。
先生は、国学ばかりでなく、漢学や西欧思想にも通じておられた。
学歴として、陸軍士官学校を首席で卒業されているから大変な秀才だ。
陸軍将校への指導が先生の任務であり、帝王学にも長けておられた。
風貌は、紳士然として偉丈夫。笑顔になっても、ジョークなど全く言われなかった。
戦後は、青年教育をおやりになっていた。が、社会変革を志して先頭に立つといった活動家ではなかった。私は運良く、最後の弟子に加えていただくことが出来た。
お仕事は経営者で、式典の引き出物などを扱う会社を興しておられた。
事務所は新宿にあり、奥様は洋服の仕立てをなさっていた。松下政経塾時代に、ご夫妻から食事にお誘いいただいたこともあった。お子様はおられなかった。
戦後、河戸先生に自衛隊からの誘いがあったらしい。でも、アメリカ軍の指揮下に組み入れられた軍隊では役に立たないという理由で入隊されなかった。
アメリカによる日本支配を認めない。膨張侵略型の資本主義経済に反対する。
環境破壊に警鐘を鳴らす。こうした姿勢から、自分の主張は共産党と同じになってしまうと、しばしば嘆いておられた。
筆者が30歳を超えた頃、河戸先生のお導きにより、宮中三殿を見学する機会を頂戴した。掌典職からは祭祀について教えていただいた。
その後、3回ほど宮中祭祀のご奉仕をさせていただくことになる。そのうち2回は新嘗祭であった。役割は、宮中三殿にご到着される皇族方の接待係で、お車のドアを開けたり、控え室にお茶を運んだりした。
河戸先生は、一体どういう理由で宮中とご縁が出来たのか。それについて、これまでよく知らなかったが、最近ある本に出会うことで、その謎が解けてきた。
それは、三上照夫という思想家を紹介した『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』という本(2018宮崎貞行著、きれい・ねっと)で、同書の中に「三上の朋友」として河戸先生が登場するのである。
この本により、天皇は最高の神官(大神主)であるということを再認識した。
そして、天皇をお手本として仰ぎ、国民一人一人が高い霊性を養うべきことが、いかに大切かを知ることになる。(続く)