其の五 連絡も無く突然やって来る、それが昭和的訪問の方式…

松下政経塾には第1期で入塾した。最初の塾生である以上、先に受験している先輩がいない。従って、いわゆる受験対策が分からない。何を勉強しておいたら、合格に向けて役に立つのか全く不明である。

そこで、ここは意識を深めておくしかあるまいと思い、自分の進むべき道を覚った場所である「釈迦の霊泉」に急遽行くことにした。上野から鈍行列車を乗り継いだため大幅に時間がかかり、夜になってやっと到着。

一応、温泉の今井社長に電話を1本入れておいたものの、宿の人たちには何も知らされていなかったらしく「突然の訪問」となってしまった。

「あの、以前にここで開かれた合宿に参加した者でして…。今井先生には、電話でお願いしてあるのですが…」などと説明してみたものの、今井社長は出張中。応対に出てくれた人たちは、筆者への対処に困っていた。

泥棒では無さそうだし(笑)、夜間で他に行く所も無いだろうということで、何とか宿に入れていただいた。

そういえば、昭和の頃までは、連絡も無く(連絡が取れないまま)突然人がやって来るということが時々あった。嫁とケンカした親戚のお婆さんとか、あまり知らない県外のオヂさんとか、誰だか分からない人が筆者の実家に訪ねて来るのが面白かった。

問題は、突然の訪問者が夜やって来ることと、家を間違えて隣家の人を起こしてしまうということにあった。朝、目が覚めてみると知らない人が家の中にいるというのは、子供にとって頗(すこぶ)るわくわくする出来事だった。

訪問者は、幼少の筆者とよく遊んでくれた。転がり込んだ訪問宅の子供と遊ぶことで、少しは役に立っておきたいという意思があったのだと思う。

とにかく、その昭和的訪問方式で何とか「釈迦の霊泉」に辿り着き、そこで松下政経塾に“入塾するための勉強”をすることになった。今井健吉社長から、日本と日本人について教えを受けたのだ。

温泉宿だから、昼間は客室の布団の上げ下ろしや、食堂の配膳や皿洗いなどをした。今井社長から日本と日本人について指導を受けるのは夜間であった。

今回も、大和言葉と国学の河戸博詞先生の話に入れませんでした。次回から、しっかり述べます。(続く)