其の四 師事すべき相手を見付け、しっかり学ぶことは重要、それも若い内に!

群馬県の山奥、月夜野町にある一件宿の温泉「釈迦の霊泉」。筆者はそこで開かれた、とても小さな合宿に参加し、それ以来、次々に大切な師を得た。

大和言葉の師である河戸博詞先生からは国学を学び、文明法則史学を大系化された村山節先生からは東西文明の壮大な交代を学び、陽明学の大家である安岡正篤先生からは東洋思想の神髄を学ぶことになったのだ。

大和言葉の師、文明論の師、東洋思想の師。
この3名に、綜合医学を教える沖正弘先生(沖ヨガ)と、松下政経塾の松下幸之助塾長を加えた5名が筆者の「一生の師」である。

師事すべき相手を見付け、しっかり学ぶことは重要だ。筆者は、師からの学びによって綜學・綜医學の基本を形成させていくことが出来た。

5名の師に出会ったのは、筆者が17歳の夏から22歳の夏にかけての5年間であった。学びを深めるには根氣が要る、体得するには時間がかかる。
だから、未来の多い青年期に出会えて本当に良かったと思う。

振り返ってみれば、これ以後、師と呼ぶべき人物に出会っていない。
もちろん、何かの分野で優れた人、能力的・技術的に秀でた人、一流の経営者、活躍中の学者などに出会うことはあったが、林の思想家人生の基盤となるような、独創的で大局的な教えを授けてくれる師は現れなかった。

むしろ、今現在影響力を発揮していたり、知名度を高めたりしている人には、出来るだけ会わないようにしてきた。当代流行の人を避け、5名の師の教えをもとに、ひたすら綜學の深化と、その啓蒙に努めてきたのである。

そのため、端(はた)からは不器用者に見えたらしい。「なぜ、こんな有名人や実力者に会わないのか」と。でも、興味が湧かないのだから仕方なかった。

但し、もう一人師がいる。それは空海だ。空海は高野山の奥の院におられる(永遠の禅定)ものの、直(じか)には会えない。そこで、高野山大学大学院に入ることで師事させていただくことにした。

こうして、空海を加えて師は6名となる。本連載は、大和言葉の師である河戸博師先生について述べるのが主旨であるので、次回から河戸先生のことを述べようと思う。(続く)