其の二 出会いを生かすには、こちらから訪問するといい…

・米ソを背後から動かしている勢力がある…
・運用システムが筒抜けの自衛隊では、日本を守れない…
・自民党以外に、新たな保守政党を興さねばならない…
・食糧危機に備えて、米の生産に力を入れるべきである…
・東洋医学を生かした綜合医療が必要となる…
・国民運動を起こして日本を根本から変えねばならない…
・国民運動にも新しい政治活動にも、その基盤に哲学思想が不可欠…

これらの見解は、西暦2025年を迎えた今でこそ「それはそうだ」と肯いてくれる人が増えているが、なにしろ今から50年前の話である。無視されるか、さもなければ気違い扱いされるのがオチだった。

しかし、筆者は目からウロコの落ちる思いがした。早く活動したくてうずうずした私は、とにかくこのときの参加者を訪ねてみることにした。出会いを生かすには、こちらから訪問するべきだろうと…。

まず、鍼灸学校同級生の窪田さんのお宅へ。窪田さん宅は、一階が自然食品店、二階が住まいになっていた。二階で詩吟の講座が開かれると聞いたので、まずそこに行ってみた。

詩吟の西田南岳先生は大変な愛国者で、詩吟の指導に入る前に“入念”に憂国の情を語られる。詩吟は先生の本宅でも開催されていたので、私はそちらへ1年半くらい通った(準二段という允可状をいただいている)。このときの稽古が、発声の基本をつくってくれた。

続いて、友禅染の職人である中根三總(みつふさ)さんのお宅へ(都内の借家)。
国学と国体論、世界情勢と人類の危機などの話題で盛り上がり、奥様とお子さんが一人おられるところへ何度も泊まらせていただいたのを記憶している。昔のこととはいえ、随分ご迷惑をお掛けしたものである。中根さんとのご縁は、その後中根さんが清瀬市に越されてからも続いた(引っ越しのお手伝いもした)。

その中根さんからも誘われて、中野区鷺宮で学習塾を営んでいた中島剛さんの塾を訪問。月に一回、塾を会場に国学の講座が開かれていた。講師は河戸博詞先生。釈迦の霊泉で一度講義を受けていたが、いよいよ本格的に国学を学ぶこととなった。そうして、中島さんの所へ頻繁に通うようになり、大和言葉や古事記の勉強が進んでいった。

その頃、筆者は文京区本郷にあった居合道・杖道の道場に通っていた。館長が元前頭筆頭の力士であり、板敷きの道場の隣が土俵になっていた(木瀬部屋)。

なんと、釈迦の霊泉で出会った深谷真一さん(江東区清澄で鍼灸院を営む)も、その道場に通う稽古生であった。そこで、「相手」が必要となる杖道の審査は、深谷さんと組ませていただくことにした(お陰様で二段をいただく)。

あとは山浦嘉久さんだ。保守思想活動に取り組んでいる山浦さんの所も訪ねたいと考えた私は、直接事務所に行ってみた。小さなビルの二階にあり、印刷物のインクの匂いが漂っていたことを記憶している。残念ながら山浦さんは留守中のため会えなかったが、右翼っぽい職員の人に挨拶した。

ともかく、こうして釈迦の霊泉で出会ったすべての人を訪ねることが出来た。
そもそも上京して東洋医学の専門学校に通ったのは、17歳のときに受けた啓示がもとである。その啓示の意味が、釈迦の霊泉での出会いによって、いよいよ明らかになっていく。(続く)