其の一 一日も早く日本を変えないと、これからとんでもないことになるぞ…

「林君、滝行をやる合宿に行かないかい?」

声をかけてくれたのは、鍼灸指圧専門学校の同級生である窪田耕二さん(当時36歳)。窪田さんは、東京の確か中央区か江東区あたりで自然食品店を営んでおられた。自然食と東洋医学が日本人を救うという信念から、専門学校に入学されていたという。

その1年目の夏休み明けに、窪田さんは私(当時18歳)を誘ってくれたのである。場所は、群馬県利根郡みなかみ町上牧にある「釈迦の霊泉」という温泉宿。そこの社長さんである今井健吉(健雄)先生が青年教育をやっておられ、窪田さんはその生徒の一人であった。

水量不足ということで滝行は出来なかったが、わずか6~7名が集まっただけの合宿が、その後の林の人生を決めることになる。窪田さんの他、学習塾をやっている中島剛さん、鍼灸院を営む深谷真一さん、友禅染の職人である中根三總(みつふさ)さん、保守思想活動に取り組んでいる山浦嘉久さんらがいた。

その会の講師であり顧問が、今井先生と国学者の河戸博詞先生であった。
そこでは、びっくりする内容が話し合われていた。

例えば、世界を動かしているのはアメリカでもソ連でもなく、その背後に情報や金融を握っている勢力が存在しているということ。

自衛隊は、運用システムをアメリカに握られており、何を守る軍隊なのかが曖昧であるため、イザというときに役に立たないということ。

自民党は、そのアメリカの言いなりであるから、新たに日本を守る保守新党を結成しなければならないということ。

いずれ食糧不足になるから、今から米の生産に力を入れていかねばならないということ。

現代医療は、慢性病を治すことが出来ず、却って病人を増やしている。これに替わる、綜合医療を体系化して広げる必要があるということ。

それらのために、新たな政治を興すための国民運動を開始し、政権を取って日本を変えねばならないということ。これらの意見が、その場で出されたのである。

私は、目からウロコの落ちる思いがした。そして、早く活動したくてうずうずした。これは一日も早く日本を変えないと、これからとんでもないことになるぞと…

また、国民運動と新しい政治活動をやるには、その基盤に哲学思想が不可欠であるということも、その場で語られていた。まず「国学の世界観」から学べと。
この合宿で、私の人生が決定したのである。(続く)