其の三十八 少しでも遅く負ける手を用いよ!

双六名人は、勝とうと思わず、負けまいと思って打てと諭しました。勝つ方法ではなく、負けない方法を考えよと。

そこで、まずどうしたら早く負けるかを考えてみます。こちらの弱点を洗い出し、相手が仕組んで来そうな手口を一通り予想してみるのです。それらが浮かべば浮かぶほど、どうなって早く負けるかと共に、どうしたら遅く負けるかについても明らかになることでしょう。

そして、その早く負ける方法は決して選ばないで、たとえ「一目でも遅く負けそうな手を用い」ます。そうすれば負けが遠のいていき、結果として勝利を収められることになるというわけです。

勿論、勝利そのものへの執念は必要です。が、それは日々の練習や稽古を充実させ、飽くなき探究心を持ち続けるためなのであって、勝利への妄執(もうしゅう)とはわけが違います。執念は熱意と本氣が元となっているのに対して、妄執は目の前の成果に囚われています。そのため、頑(かたく)なになったり迷いの心が生じたりして、むしろ敗北を呼び込んでしまうことになるのです。

兼好法師は、このような芸道における勝利への心得は、「身を修めることや、国を保つことにおいても」通用すると述べました。成果を焦り局所に囚われて失敗したり、勝利を焦って敵の罠に填(はま)り、亡国と化したりすることのないようにという教訓です。

まさにそれは、勝敗を決せねばならない事に共通した教えです。「勝てそうだ」という耳に心地良い情報ばかり信じ、周囲を取り巻くイエスマンたちから煽られますと、気持ちが浮ついて足元を掬われ、大敗を喫することにもなりかねません。

ところで、ある剣道家が、どうしたら勝てるかを徹底的に考えてきたと述懐されました。真剣勝負であれば、負けたら死んで終わりとなるのですから、勝つ方法を第一に考えるのは当然のことです。でもその一方で、実は防御に重きを置いてきたとも言われていますから、やはり「どうしたら負けないでいられるか」についても、よく練っていたに違いありません。(続く)