孔子や老子、韓非子らは、いずれも人間通の思想家でした。喜怒哀楽に揺れ動く人間という存在を、的確に掴んでいる者を人間通と呼びます。孫子も人間通として、人間心理をよく捉えていたことが分かります。
人間は弱い存在であり、誰だって死にたくありません。人間心理として、死を恐がるのは当然のことです。しかし、乱世に生まれた以上、戦いを避けて通れないのが宿命であり、武人は死を恐れぬ勇猛さを求められました。
戦闘では、力量に余程の差が無い限り、集団全体として勇猛になったほうが勝ちます。もはや戦う以外に行く所は無く、死力を尽くすのみという状況から起こるのが真の勇猛さです。
そうなれば、「兵士らは習わなくても用心し、求めなくても(力闘姿勢を)獲得し、(軍法で)縛らなくても親和し、命じなくても信頼出来るように」なります。
いちいち注意しなくても用心し、うるさく要求しなくても力戦し、法令で拘束しなくても団結し、あれこれ命令しなくても信用が高まるのです。
即ち、人間の弱さを十分知った上で兵士らの勇猛さを導き出せるのが、人間通の指導者というわけです。
それから、故郷から遠く離れた重地(ちょうち)にあっては、「吉凶の流言を禁じ、疑惑を抱かせないよう注意」しなければなりません。吉凶の流言とは、人を惑わす怪しい占いや迷信のことです。異国の地で、ただでさえ不安な心境に陥っている兵士らは、流言や迷信に敏感となり、怪しい占いを信じてしまいます。
それらに惑わされないよう諭し、不安を払拭することも現場指揮官の大切な役割となります。場合によっては、意図的に吉と出るよう占わせ、希望が湧く噂(うわさ)話を流すなどして、兵士らを一安心させるのも方法でしょう。
兎に角「疑惑を抱かせないよう注意」することが肝腎で、惑いや恐れさえ無ければ、兵士らにとって「死に至るまで他に行く所は無くなる」のです。
こうして兵士らは、財貨や生命を顧みること無く戦います。物資を焼却したり破棄したりすることで敢えて覚悟を据えさせることもありますが、「余った財物」を無にするのは「財貨を嫌っている」からではありません。また、残りの命を無きものにしてまで戦うのは、「長寿を嫌っている」からでもありません。
いざ「出陣の命令が発せられる日、士卒の坐している者は涙が襟を潤し、横臥している者は涙が頬に伝わ」ります。でも「そういう彼らを(戦う以外に)行く所が無い状況に投入すれば、専諸(せんしょ)や曹劌(そうけい)の(ような豪傑となって)勇気を奮う」ことでしょう。
(専諸は春秋時代・呉の豪傑、曹劌は春秋時代・魯の豪傑)。
戦闘は命懸けであり、死ねば終わりです。出陣命令が出れば、兵士らは故郷を思い、家族を想って涙を流します。そういう彼らを一人でも多く生き残らせ、不幸にも討ち死にした若者たちの死を無駄にしないためにも、勢いを緩めずに戦い、一日も早く勝利して戦争を終息させなければなりません。(続く)