その147 このままでは呉越同舟ではなく、呉越決戦へ向かうのみとなる?!

紀元前5世紀頃、呉と越は覇を競い合っていました。仇敵同士の呉と越が同盟関係となるなんて想像も出来ないことですが、孫子は状況によってはあり得ると述べました。もしも呉の人と越の人が同じ舟に乗っていて、途中で暴風雨に出遭えば、舟を沈めないために必ず協力し合うようになると。これが有名な「呉越同舟」の由来です。

ただでさえ人間組織は、放っておいたら互いに離反し崩れ去っていく性(さが)を持っています。しかし、たとえ憎み合う関係にある者同士でも、生き残りを賭けねばならないほどの危機や苦難に接すれば、そこから共通の目標を見出し、協力関係を構築することも不可能ではありません。

そこで国家の指導者らは、国内に問題が起きて人民に不満が溜まってまいりますと、お決まりのように外国を批判することで、その不満を逸(そ)らし、国内の統一を図ろうとします。まさに国民の呉越同舟化です。

そういう小さなレベルは、もう超えましょう。異常気象が日常化し環境破壊が止まらない今こそ、地球規模の人類共通問題に対して世界が呉越同舟とならなければいけません。

残念ながら今のところ、自国経済を守るための協力要請に過ぎない状態です。
このままでは呉越同舟ではなく、呉越決戦へ向かうのみと思えてなりません。

《孫子・九地篇その四》
「戦上手な者は、譬(たと)えれば率然(そつぜん)のようなものだ。率然とは、常山にいる蛇のことだ。その頭を攻撃すれば尾が向かって来て、その尾を攻撃すれば頭が向かって来て、その胴体を攻撃すれば頭と尾が向かって来る。

敢えて質問するが、兵士を率然のようにさせられるだろうか。答は出来ると。呉人(ごひと)と越人(えつひと)は互いに憎み合っているが、同じ舟に乗って渡ろうとするときに嵐に遭えば、その救い合う様子は、まるで左右の手のようになるではないか。

こういうことから、馬を繋(つな)ぎ車輪を埋めたところで、(軍隊の団結にとって)まだ頼みにはならない。勇敢さを整えて一体にさせるには、政治的指導が要る。剛強な者にも柔弱な者にも(活躍の場を)得させるには、地の理の把握が要る。

戦上手な者は、兵士らの手を携えさせ、まるで一人の人間であるかのように使う。それは兵士らを、そうせざるを得ないよう仕向けるからである。」

※原文のキーワード
戦上手な者…「善用兵者」、「常山」…河北省曲陽県にある五嶽の一つ恒山(こうざん)のこと、頭…「首」、向かって来る…「至」、胴体…「中」、互いに憎み合っている…「相悪」、渡ろうとするときに嵐に遭う…「済遇嵐」、救い合う…「相救」、馬を繋(つな)ぎ車輪を埋める…「方馬埋輪」、まだ頼みにはならない…「未足恃」、勇敢さを整えて一体にさせる…「斉勇若一」、政治的指導…「政之道」、剛強な者にも柔弱な者にも(活躍の場を)得させる…「剛柔皆得」、地の理の把握…「地之利」、手を携えさせ、まるで一人の人間であるかのように使う…「携手若使一人」、そうせざるを得ないよう仕向ける…「不得已」 (続く)