大和言葉・国学の師匠である河戸博詞先生は、生命体について次のように説明されていました。
あらゆる有機体には、実在としての中心がある。生命体の場合、それをイクタマ(生魂)という。
イクタマを中心に、生命体として必要な要素が集まっており、それをタルタマ(足魂)という。タルタマは、満ち足りた玉(集まり)のことである。
そうして、イクタマを中心にタルタマが統一されている姿をタマトマルタマ(玉留魂)と呼ぶ。タマトマルタマは、玉のようにまとまった生命体のことである。
生体体の説明として、おそらくこれは最もシンプルな部類に入るでしょう。
実在の中心がイクタマ、
→要素の集合がタルタマ、
→全体の調和がタマトマルタマ=生命体という、極めて単純な説明だからです。
問題は、イクタマの求心力です。生命体は、イクタマの求心力が働いている間は生きておりますが、それが消失すると死を迎えることになるとのこと。
そこで、どうすればイクタマの求心力を高められるかというと、立志が最も有効な方法だと思われます。この自分は、一体何のため・誰のために生きていくのかという「志」を明確にすることによって、イクタマの求心力が高まり、身心が統一され、タルタマが充実することになるのです。
但し、志は単なる目標ではありません。偉くなる、金持ちになるといった個人の名利に関する目標でも、それなりにイクタマの求心力は高まります。でも、少し偉くなったり金持ちになったりすれば、たちまち身心が緩み、向上心が消えてしまいかねません。
やはり、世のため人のためという、より大きな生き方をしてこそ人生は充実いたします。表面的な目標ではなく、もっとどっしりとした志が欲しいのです。
そして、志が単なる目標に下降しないために、立志の前によく見据えておくべきものがあります。それが、種や原点、素志です。(続く)