立志の前に見立てておくべきことがあります。それが、人生の種や原点にあたる「素志」です。
松下政経塾の五誓に「素志貫徹の事」という言葉があります。なぜ一般的な初志貫徹ではなく、素志貫徹なのでしょうか。それは、初志のもっと前に腹に据えておくべき原点(素志)があり、それを大事にして欲しいという松下幸之助塾長の願いがあったからでした。
即ち、具体的な目標に至る前の、まだ明確ではないものの、心の底から湧き上がる想いというものがあるはずで、それを大切にしなさいというのが松下塾長のお考えだったのです。確かに、本人は立志だと思っていても、傍(はた)から見たら名利を得たいがための個人的目標に過ぎないといった場合が多々あります。そういうことをご承知であったがゆえに「素志貫徹」を求められたのでしょう。
この立志の前の素志、それが原点であり種であると言えます。素志、原点、種は誰にでもあるはずです。明確に自覚しているか、よく思い出せば浮かび上がってくるかの違いはあるものの、意識の中に必ずあると。
では、素志を見付けるにはどうしたらいいでしょうか。まず、人生の時間軸を長く取ることです。時間軸を辿(たど)りながら、幼少期や少年期に記憶を遡(さかのぼ)らせつつ原点を探し出してみてください。
関心が湧いて強烈に惹かれた事、印象に強く残っている事、放っておけない・見捨てるわけにはいかないなどと思った事、いつの日かこの自分が何とかしようと願った事、悔しかったり辛かったりした事などの中にピンとくるものがあれば、それが原点や種である可能性があります。
次に、そうやって思い起こしながらピンときたものを、現在の自分に置き換えてみてください。「ああなるほど、あの経験や体験があったからこそ今の自分があるのだな」、「これからやろうとする事の大元が、ちゃんとあったんだな」などと気付けば、原点や種に到達したことになります。
もしも、過去に何の原点も種も発見出来なかったときは、一体どうすればいいのでしょうか。心配ご無用であり、今から新しい原点(新規の原点)を定めればいいのです。新たな学びや出会いによって、中高年になってから原点を起こしても決して遅くはありません(でも、新しい原点には、どこかに深層(大元)の原点が眠っている場合が多いものですが…)。
いずれにせよ、今の生き方や、これからの生き方が、ちゃんと原点と繋がっているかどうかを確認してみましょう。それは、自分にとって筋の通った道(正しい道)かどうかの考察となります。
それから、歴史や文化、伝統精神などと繋がることで原点になっている場合があります。自分をはるかに超える長い時間の連続性が、原点のベースになっているケースのです。そもそも文化や伝統には、それらを紡いできた先人たちの純粋な熱意が込められています。それを我が原点として受け継ぐのは本当に尊いことですから、併(あわ)せて考察してみることをお勧めします。
さらに、時間軸は将来に向かって伸びていきます。我が志は、世界と日本の将来にとって必要な事かどうか、子孫にとって喜ばれ、必要とされる事かどうかについても考えて欲しいのです。
以上が、立志の前に必要となる、素志、原点、種についての説明です。しっかりした立志によってイクタマ(生魂)の統制力が強まれば、生命体は健康へ向かうということは先に述べた通りです。(続く)