中国・明代の思想家である王陽明は、知ることと行うことは一つであるという、知行合一の行動哲学を唱えました。知ったことは行って初めて完成し、行うことは知ることがもとになっていると。また、知ったからには、それ(お知らせ)を自分へのメッセージ(我が事)として行うべきであり、行うからには、ちゃんと事実や情勢を知らなければ浮足立ってしまうことになります。
行うというのは、ヨガにおいては「行」となります。行の大切さを、沖正弘導師は次のように述べています。
「知を理解にまでみちびくものが行であると思います。ヨガは、事実を体得して真実を理解しようとするものであり、事実を事実として把握出来た状態を“悟り”というのであります。」
(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房p.25.)
行によって知を深め、行によって得た事実から真実を掴んでいく。そこに悟りがあると。では、何によってそれを自覚したらいいのでしょうか。沖導師の言葉を続けます。
「それは自分の状態であります。そしてその状態をつくるものが、自分の内容であります。このことをヨガでは、“自業自得”という言葉で教えています。この言葉の意味は、事実のみが現われるということです。」(同p.25.)
行によって真実を掴んでいく上で、何が目安になるかというと、それは「自分の状態」なのだそうです。自分に現れる「体の健康状態、心の悟りの状態、生活の幸福状態、仕事の繁栄状態」などが目安となります。そして「この逆の場合には、内容と働きが不自然であるということであり」、「苦しみの現象として教えて下さる」とのことです。(同p.25)
苦しみを好む人は誰一人いないのに、人間社会と人間生活には苦悩や苦労が付き物です。でも沖導師は、それによって人間は進化出来たと言われます。
「この苦悩のおかげで、人間だけが進化することができたのであります。苦悩こそ求道して進化せよという、神の大愛心の現われではないでしょうか。この悟りが“宗教心”であり、この愛に感謝し、苦悩の中に正しさを求めるのを“信仰生活”または“精神生活”というのであります。私たち人間はこの心を体得するために生まれて来ているのではないでしょうか。」(同p.26.)
私は常々、「人は苦労では潰れないが、苦労の意味が分からなくなると潰れる」と説いてきました。苦悩には意味がある。それは進化のためであり、そこに「神の大愛心」があるというわけです。(続く)