お前が自分のことを諦めたとしても、この俺はお前の可能性を諦めてはいない…。この沖正弘導師の言葉には、相手の内に眠る「その人自身を救う力」を、私は決して諦めてはいないという意思が込められています。
続けて沖導師は、自分の内なる力を信じよと語ります。
「苦しみの作り主も救い主(解決者)もそれは自己以外にはないのだということである。救い主が他にあるかの如くに思う所に迷いと邪道が生ずるのである。
「救い主は自己の中にある」この福音を教えるのがヨガなのである。
とに角、私は言いたい「学び行じてしかる後に信じよ」と、すべてを求道として実践せよがヨガの教え方である。」
(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房p.13.)
救い主、福音などという宗教的な言葉が出てくることから、ヨガが宗教哲学であるということがよく分かります。
何かで苦しむということ、それが解決して嬉しいということ。それらの原因と結果は、基本的に自分がつくっているのですが、一方的に他に救い主を求め、都合のいい助け手(たすけて)ばかり探そうとすると迷いが生まれ、邪道に逸(そ)れてしまうことになるのです。
とにかく、自分の救い主は自分でしかないと。確かに、自分の中に自分で立とうという意志が起こったときに「何かしてあげたい」と思ってくれる助け手が現れるのであって、ただ単に助けて欲しいと願っているだけでは、巧く騙して奪ってやろうという輩くらいしか近寄ってこなくなるものです。
要は、生き方や在り方の基本(哲学)をよく学ぶこと。そして、それに基づいて実践し、その結果から判明した「自分に必要なこと」を信じることです。
「すべてを求道として実践せよがヨガの教え方」ですから、救いの道が自分の内にあることを信じ、学んだことを素直に実行してみようというわけです。
そういえば、沖ヨガ道場の正式名称は「求道実行会密教ヨガ修道場」でした。
求道と実行です。(続く)