イザナキの命とイザナミの命は、天つ神(大宇宙の神々)からアマノヌボコをいただきました。アマノヌボコは、未完成の宇宙をひとつにまとめて進化させる力の象徴であり、イザナキとイザナミだけでなく、あらゆる人間が貰っているものと筆者は解釈しています。
そして、ヌボコは一人一人が持っている天性(天から受けた個性)や天分(天からいただいた持ち分)のことでもあると考えています。天性や天分は、個性や顔が異なっているように、人それぞれ違います。そもそも価値は違いにあります。違うことによって誰もが固有の役割を持っていることになり、助け合い、補え合えるわけです。
沖正弘導師は、先天性の障害や、難病、不治の病を背負っている人にも道場を開放しておられました。道場には、全てに見放された方々が全国から、海外からもやって来ました。
沖導師は『古事記』について語っていませんから、ヌボコも出てきません。
でも、アマノヌボコが全ての人に授けられているという解釈は、沖ヨガ哲学に通じていると思います。沖導師は、障害を抱えている方々に対しても、ヌボコは与えられているという立場で接しておられたことを思い起こします。そのことに、いまさらながら敬服いたします。
たとえ障害を抱えていたとしても、天性や天分、つまりちゃんとヌボコを持っており、それによって何かを残すことが可能なのです。先にダウン症の子供に対する、沖正弘先生の取り組みについて紹介しました。そういう人たちをも含めて、あらゆる人間の尊厳を認め、生まれてきた価値を祝福し、命の意味を顕彰しようとしたのが沖正弘という宗教家でした。
こうして私たちは、天性や天分を生かすことによって、この世に生を受けたことの意味を果たしてまいります。病や悩みがそれを阻害しているのであれば、まずそれらから(たとえ少しでも)救われる必要があります。病や悩みから逃げてはいけないと。
病や悩みが、なぜ問題かというと、それらを抱えて苦しんでおりますと、周囲が見えなくなって意識が内に向かい、狭い世界に閉じ籠ってしまうからです。そのままでは、せっかくの天性や天分に気付けず、それらを生かせないまま終わってしまいかねません。(続く)