その16 自分たちにも間違いがあったということを、双方とも反省出来るかどうか…

組織や団体には、内紛が付き物です。集団内に何らかの対立が起きますと、同じ仲間同士であるにも関わらず、酷ければ非難の応酬合戦となります。そのとき、双方とも自分の側が正しく、相手側が完全に間違っているという態度を取ってしまいます。

そもそも物事というものは、右から見るのか、左から見るのかによって、全く違う景色が見えてきます。積極的な姿勢を見せれば傲慢だと文句を言われ、謙虚にしていれば逃げているなどと非難されてしまうようなものです。同じものを見ているのに、それを見ている者の意識によって、仏にも鬼にも見えてしまうわけです。

その根本的原因は、部分に片寄り、自分たちの立場や都合を優先して考えている点にあります。

なかなか難しいことですが、そういうときこそ、自分たちにも足りない点や間違いがあったということを、双方とも反省する必要があります。そして、「お互いもっと大きな事のために仲間となったはず」という使命感を取り戻し、共通目標のために尽くせるよう氣持ちを擦り合わせて欲しいのです。

その自己反省というものを促し、小さな自我を超えるために行ないたいのが、「自分のため」を超えたところの「祈り」です。沖正弘導師は、「自分のために求めて神に祈る方がありますが、この心はあやまりです」と述べています(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房p.21.)。

自分のためではなく、自分を超えたもののために祈る。その対象に、自分と対立している相手のために祈るということもあるでしょう。

「敵に塩を送る」という武士道精神が、まさに相手のための祈りを象徴していると思います。卑怯で姑息な手を使って相手を貶(おとし)めるのではなく、正々堂々と戦ってこそ勝利に尊さがあると。

やがて争いが終われば、敵味方の区別なく、倒した相手をも供養するところに日本人の美意識がありました。昨今の対立と分断、それに伴う激しい罵り合いを見ますと、どちらにも反省が足りないと感じます。大義に立って、仲直りをしてはどうかと思わないではいられません。(続く)