暑中お見舞い申し上げます。猛暑ですね!
4月から綜観は、仕事と大学院の二重生活となっています。入学した大学院は通信過程なので、自宅で教本を読んでレポートを書きます。
沢山の教本・参考図書を熟読し、設題に基づいて一次資料を探しながらレポート(1本約4千字)を書き、一通り合格すれば科目最終試験に臨みます。
今年度は6科目を受講。レポートを16本まとめ、6科目分の科目最終試験を受ける予定です。これが全て終われば16単位の認定となります。
現在、密教学概論(4単位)と密教史概説(4単位)のレポートを提出し終え、9本目のレポート作成(仏教学要論1:2単位)に向かうところです。
しかし、高野山大学大学院の学習(密教学専攻)は本当にきつい!物事を大局から捉え、核心を掴んでいく手法は、大学院教育によって養われるということを、この歳になって痛感しているところです!
◆日記(21日~23日)
・21日(木)オンラインやまとことば国学の世界観講座で講義~アマ(時空)
・22日(金)林塾「政治家天命講座」文月例会一日目講義~安岡正篤と帝王学
・23日(土)林塾「政治家天命講座」文月例会二日目講義~佐藤一斎と陽明学
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【ご案内】やまとことば古事記の絵本を使った語り部になりませんか!
8月から言本師養成講座の第4期がはじまります。現在、残席2席です。
また、来年度第5期・第6期生の募集もしております。日程など詳しくは、語り部協会のホームページをご覧くださいませ。
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●評論・随筆●
◆暴走型の覇道政治ではいけないという、安岡正篤先生の憂い…◆
明日は安岡教学について講義する。その準備をしていて、下記のことを思った。
昭和歴代首相の指南役であった安岡正篤先生は、昭和13年から14年にかけてヨーロッパに旅行し、ナチス政権をその目で見た。昭和13年(1938)はドイツがオーストリアを併合した年であり、安岡先生は帰国後、ヒトラーのやり方は覇道的であり信頼出来ないと批判している。
カリスマ的指導者であったヒトラーは、第一次世界大戦敗戦後すっかり疲弊していたドイツの再建に努め、国威を高めることに成功している。アウトバーンの建設、国民車の製造など、当時の政策に対して高い評価を与える者は多い。
その政治活動は、大衆の気持ちを擒(とりこ)にした。もともと共産党が掲げていた赤旗を“横取り”し、旗の中央にはシンボルのカギ十字(逆卍)を入れた。目立つ赤旗を無数に掲げ、団体行進は力強く整然と行った。
市街地で起こる暴力的な政治闘争にはナチス突撃隊が前衛となり、国民集会は心を高揚させる松明(たいまつ)行進によって集められた。当時最先端の情報伝達手段であったラジオ放送を駆使し、ヒトラーの扇動的演説が全国に流された。
ヒトラーはしばしば航空機で移動し、空から降臨することで神格化されていった。こうした活動は、今日においても大衆を動かす上で応用出来そうだ。
では、安岡先生は何を憂慮されたのか。それは、ナチス党の全ての活動が、独裁者一人の功名心を満足させるために仕組まれている点にあったのだろうと推測する。周囲の者は独裁者に喜ばれることのみ考えて動き、それが出来ない者は排除されていく。要するにヒトラーのやり方は、王道ではなく覇道であると。
ヒトラーはユダヤ財閥や共産主義者などを敵と見なし、激しい闘争を仕掛けることで勢力を拡大させた。そういうやり方は、着実な改革であるところの王道政治とは相容れない、暴走型の覇道政治でしかなかった。その結末は、歴史の示す通りである。
この国難に当たって、一刻も早く変えねばならない事がいろいろある。危機意識を持つ国民も増えてきた。しかし、注意すべきは熱狂した世論に押され、引くに引けなくなって突っ込んでいくという事態だ。
特に、我が国は決してチャイナと戦ってはならない。もしも東アジアが戦場となれば、新しいアジア文明の創造が100年遅れ、戦禍は世界に拡大し、人類は10分の1以下に減るということもあり得るだろう。
今後、益々外交と国防を充実させねばならないが、それは戦わない(挑まれない)ための取り組みなのである。
そこで、緊急に処置すべき事、急ぎつつも慎重に進めていくべき事、根本改革としてじっくりやり抜くべき事などを、ごっちゃにしないよう短期・中期・長期に振り分け、それらを国是という軸でまとめていって欲しい。
胆力や勢いに、どう知恵と根氣を加えていくか。瞬発力だけでは、すぐに息切れする。少なくとも30年近くを要する改革が始まろうとしていることを自覚しておきたい。(7月21日)