苦しいときや辛いとき、誰だって何かにすがろうとします。当然のこと、助けを求めて良いのですが、同時に自力で何とかすることも忘れてはなりません。
沖正弘導師によれば、救われ方には真実の救われ方と、そうでない救われ方があり、前者は自力で救われる在り方だそうです。
「真実の救くわれ方とは何か、それは自力を喚起して、自力だけで、自己の問題を自然的に解決することである。この時、苦しみが悟りと健康への道となるのだ。
内在力を呼びおこし、その働きを促進する為には、自己の悪業(悪癖)を取り去らねばならない。しかし…
一人々々が、独特の気質、体質、習慣を持って生まれてきているのであるから、業(歪、癖)もまた一人一様である。だから自己に適した道を、自己の努力によって自己発見しなければならない。ヨガはその方法を教えているのである。」
(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房p.14.)
私たちは子供の頃から、熱でも出て苦しくなったり、お腹が痛くて辛くなったりしたときに、親や家族が助けてくれた経験を持っています。そのとき、親や家族は普段よりもずっと優しかったことを記憶しているでしょう。学校で怪我をして痛いときなども、先生や同級生らが優しく助けてくれました。
そういう体験によって、何かがあったとき、誰かが助けてくれるのが“当たり前”といった氣持ちを、いつの間にか抱くようになっていた可能性があります。
でも、病氣や怪我を治すのは内在する「良くなる力」なのですから、やはり自力を生かすことや、内在力を信じることを忘れてはなりません。
そして、自力や内在力を起こしてこそ、痛みが健康へ、苦しみが悟りへの道となるのだと。
問題は、自力や内在力を促進すべきときに、それを阻害してしまうことになる悪業や悪癖です。悪業や悪癖は、その人の人生を通して、その人に溜まっている「マイナス要因となっている根っこ」みたいなものと思われます。
沖導師が言われるように、もともと一人一人の氣質や体質は違いますし、後天的な習慣も異なります。そのため、知らず知らずのうちに歪みや癖が生じ、行いが偏っていき、その蓄積が業(ごう)となってしまうのです(業は、その人に溜まっている行いのこと)。
そういうことから、自分に適した救われ方は、結局自分で発見するしかないことになります。その発見のための方法が、沖ヨガの教えと行法に示されておりますし、綜医學にもそれがあります。(続く)