自由・平等・民主といったものが、本当に存在しているのだろうか…

こんにちは。昨日は和歌山市で、松下幸之助塾長生誕130周年と松下政経塾創立45周年を記念してのお墓参りがあり、合わせて懇親会が開かれました。

一期生が7名参集し、同期のU君から「林っ!最近のメルマガはマイルドすぎるぞ!もっと激しくやれ!」と叱咤激励をいただきました。

またO君は、私に向かって所論を2時間近く語ってくれました。
その情熱は、45年前と少しも変わっていません。
同期生は本当にありがたい存在ですね!

◆日記(9月2日~7日)
・2日(月)浜松事務所の「神棚の間」清掃とお供物の交換を行う。
・3日(火)1回目提出「修士論文」の修正のための研究作業など。
・4日(水)1回目提出「修士論文」の修正のための研究作業など。
・5日(木)1回目提出「修士論文」の修正のための研究作業など。
・6日(金)綜學社・京都研修所の清掃と神棚御供物交換。六波羅蜜寺に
参拝し般若心経を上げる。恵美須神社に参拝し「松下幸之助」碑にお参り。
・7日(土)松下幸之助塾長生誕130周年と松下政経塾創立45周年を記念して和歌山でお墓参り&懇親会。塾長と交わした国手となる約束は一生の使命!

【ご案内】
◆来春、「綜医學」講座をはじめます!
林英臣が長年に亘って説いてきた、綜合学問である「綜學」。
その各論であり、綜學の実学的集大成とも言える「綜医學」講座を、来年春(4月)から開講します。

医療人には、さらにその天職に自信をお持ちいただくために、
経営者には、会社組織をより“健康体”とするために、
政治家には、天下国家を“生命体”として発展させる「国手」となるために、
家庭人には、身近な人たちの健康増進(免疫力向上)を支える綜医學術者となるために学んでいただきたく存じます。

毎月1回、日曜日に開催します。会場は、関西(大阪)を予定しています。
時間は、午後13時から16時までの3時間で、2時間講義し、1時間は「手当て療法」や「言葉療法」、「呼吸療法」などを実習します(手当て 言の葉 長息 長生き)。

オンライン受講や録画受講も可能ですから、全国どこからでも受講できます。
現在、仮予約を受け付けております。講座内容など、詳細は下記フォームからご覧ください。
※受講料は一講1万円ですが、10回通しのお申込で11回受講できる割引制度も予定しています。
docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfKoNi_b9mkix1rofxJ1sjbnER8qwJS8ItfOyDi9faoDMxANg/viewform

◆「孫子の兵法」が読み易いnoteに! 現在、その26まで配信!
戦争は国の重大事。国民の生死が決まるところであり、国家存亡の分かれ道でもある。だから、しっかり考えねばならない!
指示命令が二つの系統から出されると、現場は混乱状態に陥る。
note.com/hayashi_hideomi/n/n91677a054ee5

◆こちらもnoteです!
私たち日本人は、決して闘争思想に誘惑されてはならない!
『大國民讀本』を読む~(17)
note.com/hayashi_hideomi/n/n51c6f34efa8d

◆YouTube「綜医學(日本医学)」
~五行と心の健康~全体を循環と調和で捉える「こころ」と「からだ」は一つ
泣くときには泣く! 怒るときには怒る!
でも感情はバランスが大事だから、泣き過ぎない、怒り過ぎない…
怒・喜・思・悲・恐~東洋医学では、感情も循環を重視する。
YouTube「綜医學」林英臣チャンネルを、是非ともご覧ください。
ご登録も宜しくお願いいたします。

==========

●評論・随筆●

◆自由・平等・民主といったものが、本当に存在しているのだろうか…(9月2日)

「時計」は時間を計る道具、「本箱」は本を入れる箱。こうした名付けによって、その物事が何なのかが明確になる。

その一方で、「名(な)」は言葉であり、言葉によって物事は固定化されていく。
時計は時間を計るためのみに使われ、本箱は本を収納するためにだけ使われるというように、名(言葉)によって物事は固定化されていくのだ。

時計や本箱なら実在しているから、固定化によって惑うことはない。
しかし、「自由」や「平等」や「民主」といった言葉はどうだろう。
時計や本箱のように、自由・平等・民主といったものが、本当に存在(実在)しているのだろうか。

言葉は「観念」に陥り易い。観念は、実際には無いのに、頭の中だけで「ある」と思い込んでいる意識のことである。

そして、観念は一人歩きして、本当にあるかのように固定化されていき、世の中を大きく惑わせるもとにもなる。

◆「自由」や「平等」は、観念であることに注意が要る…(9月3日)

「観念ではなく、実在を見なさい」。
18歳で師事した大和言葉の師匠から、何度もそう教えられた。

最初のうちは、何が観念で、何が実在なのか、違いがよく分からなかった。
でも、だんだん見えてきて、観念は頭の中だけで描いているイメージのようなものであり、実在は実際に存在している事なのだろうと分かってきた。

そして、「自由」や「平等」は、観念であることに注意しなさいとも教えられた。
そう言われても、学校で自由や平等の大切さを教えられてきたから、おかしなことを語っているとしか思えなかった。

やがて、いろいろな学びを深めていくうちに、素直に見れば、この世界に無条件の自由や平等は無いということに気付かされてきた。

日本の政治は、明治以来、この観念としての自由や平等、あるいは民主や人権(権利)に振り回されてきたのだと思う。今ここで、それらの定義をしっかりさせないと、誰がやっても政治は良くならないと思うのである。

◆松下幸之助と「素直な心 」(9月4日)

「素直な心になりましょう 素直な心はあなたを強く正しく聡明にいたします」松下幸之助

松下幸之助は、「素直な心」を持つことの大切さを唱えた。
何事も素直に観ないと、その本質は掴めないと。

下記は、政治の在り方に関する、興味深い松下幸之助の言葉だ。
「人権の尊重とか、自由の保障とか、平等が保たれるとかいうことは、要するに、民主主義を成り立たせるための基礎条件でありまして、それらは、民主主義の本質というべき性質のものではないと思われるのであります。」(2002松下幸之助『松下幸之助の哲学』PHP研究所278頁)

素直に観たからこそ、条件と本質を混同しないのだと思われる。

◆観念が目的化すると、本質からズレてしまう…(9月5日)

松下幸之助の言葉は、よく噛みしめて味わいたい。

素直に観るかぎり、人権・自由・平等は、より良い政治を行うための基礎条件であり、政治の本質ではないとはっきり主張しているのである。

人権・自由・平等などは、あくまで政治の基礎条件としての考え方(観念)であって、それと政治の本質(実際や実在)を混同してはいけないと言いたいのだ。

即ち、基礎条件であるはずの人権・自由・平等が一人歩きしてしまうと、観念が目的化し、政治の本質からズレてしまうということを警告されたのだと思われる。

では、松下幸之助の唱える(一人一人が生かされるという意味の)民主主義の本質とは何か?

◆モテる人は・・・(9月5日)

モテる人は、知識をひけらかさず、常に相手に喋らせる。
自慢せず、決してマウントを取らない。まさに、老子の教えだ!

◆人間は果たして、崇高にして偉大な存在なのだろうか?(9月6日)

松下幸之助の考える民主主義。その本質は、「人間の天分」が生かされるところにあると思う。人間としての天分が生かされたら民主主義になると。

松下翁は『松下幸之助の哲学』の中で、「民主主義の本質は」、「人間本然の姿が、そのまま素直に生かされる、つまり自然から与えられた人間の本質が、そのままいきいきと生きて働いてくる、というところにあると思うのであります」と述べている。

「人間本然の姿」とは、まさに「人間の本質=天分」にほかならない。それを松下翁は、「崇高にして偉大な存在」と捉えたのである(「新しい人間観」)。

しかし、人間には、自分勝手で醜い面がある。それでも崇高で偉大と言えるのだろうか。

◆「人間の本質」を生かして政治を行うのが、真の「民主主義」(9月7日)

確かに人間は、しばしば争い合い、闘い合い、憎み合い、嫉妬し合う。
けれども、そればかりでなく、お互い助け合い、尊敬し合い、高め合おうとする。

そして、相手の役に立って喜ばれたら、自分の喜びにもなるという心情(喜ばれる喜び)を持ち、世の中全体、クニ全体、地球全体、ひいては宇宙の生成発展に貢献しようという公(オホヤケ)の意識を有している。

だから、やはり人間は崇高にして偉大な存在であり、そういう「人間の本質」を生かして政治を行うところに「民主主義」の意味があるというわけである。

◆天分は、天からいただいた我が持ち分!(9月8日)

「それって、あなたの天分よね!」とか、「もっと天分を生かそうね」などと、「天分」という言葉をときどき耳にする。

では天分とは何かというと、それは「天から与えられた自分の個性」や、「天からいただいた我が持ち分」のことだろう。

そして、天分には人類全体にとっての天分と、個々の人間にとっての天分がある。前者では、人類は崇高かつ偉大な存在として、宇宙の進化を担えるだけの素質を、はじめから天分として持っている。

また後者では、一人一人がそれぞれ個性や特性(天性)を持っており、それを天分として生かすことで、宇宙進化に参加していくことになるのである。

その際、社会の自由度が高ければ、自主的に宇宙進化への道を選べることになり、それ(宇宙進化)への参加は、誰にでも平等に認められているようでなければならない。そもそも宇宙進化への取り組みは、人類に与えられた権利(やっていいこと)なのだから。