こんにちは。昨日は京都綜學院で講義とワーク指導を行いました。
幕末志士三千人の師・佐藤一斎の著書『言志録』をもとに正味4時間話し、ワーク指導に2時間、懇親会でも質疑応答などに3時間を費やしました。
佐藤一斎の教えは、志士たちの共通言語となり同志的人生観が養われました。
それによって大同団結が叶い、維新回天の大業が成されたことを忘れてはなりません。
なお、9日(日)は東京綜學院で講義と指導があります。
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●評論・随筆●
◆中国の成長鈍化と体制の動揺、そこで持つべき二つの視点…◆
中国の衰退が心配になってきた。日本経済新聞社・論説主幹の原田亮介氏は、「中国経済に異変が相次いでいる」として、次の5つを問題点として挙げている。
第一は「デフレ懸念」で「7月の消費者物価がマイナス」に転じ、第二は「貿易の縮小」で「7月に輸出入はともにマイナス」となり、第三は「不動産市況の悪化」で「不動産大手の経営危機」が生じ、第四は「雇用の悪化」で「若年失業者が20%超える」事態となり、第五は「人口減、少子化」で「出生率は日本を下回る」低さになっているという。(令和5年8月28日付日経新聞朝刊)。
一人っ子政策(1979~2016)の影響もあって急速な少子高齢化に直面する中、構造的な不動産不況が発生し、若者の失業率が20%超えともなれば先行き不安が起こるのは当然だ。
ここ30年ほどの歴史を振り返れば、かつて賃金の安い労働力をあてに先進諸国は中国に投資して沢山の工場を建てた。やがて人民が豊かになって購買力が高まると、中国は世界の市場となった。さらに世界経済を左右するところまで発展を続け、半導体やAIの開発競争でアメリカを脅かすに至る。その中国が、ここへ来て衰退の危機を迎えているのだ。
日本経済新聞社・本社コメンテーターの秋田浩之氏は、「生活を豊かにしてくれるから、中国の人々は共産党の支配を受け入れてきた。この前提が崩れたら、共産党体性がきしんでしまう」と述べている(令和5年8月29日付日経新聞朝刊)。言いかえれば、生活が苦しくなれば人民の不満によって、共産党による独裁体制が崩れる可能性が出てくるというわけである。
人民の不満が高ずれば、政府による人民への管理統制がいっそう強まる。ウイグルやチベットに対する同化(漢民族化)政策は進む一方であり、香港の民主派は結局潰された。そういう抑圧によってじわじわ人民に溜まった不満は、いよいよ食えなくなってきたとき、体制を崩壊させる雪崩となって新たな革命を引き起こしてしまうのが歴史的事実である。
革命を起こさせないために、権力側はどんな手を打つか。その一つが人民の不満を逸らし、政府の面子を保つために行う対外的な強硬策で、台湾統一がその可能性として高い。
中国の成長鈍化と体制の動揺を目の当たりにすれば、誰もが中国という国との付き合い方に悩んでしまう。では、どうするか。筆者は、視点を二つ持つべきと考える。一つは共産党体制の行く末についての視点、もう一つが人民全体に対する視点である。
二つ目の視点の先には、「人民の分厚い生命力」が見えてくる。人民全体の生命力は強靱だ。もしも革命が起こっても、差配人が交代した程度に受けとめるだけで、人民の生活は少しも変わらないというのが中国の底力なのだという(勝海舟の意見)。
中国経済の成長力が萎えてきたからといっても、相変わらず巨大な市場が大陸に存在することに変わりはない。その「人民の生命力」を冷静に眺め、内憂に苦しみ、既に低成長下に喘いでいる中国と、どう付き合うべきかについて基本方針を早期に確立せねばならない。
21世紀は東西文明の交代期だ。交代期には必ず膨張勢力が登場するが、今回は中国がそれに該当すると考えられている。かなり危ういが、無視できないのが中国という国なのだ。(政経倶楽部・日本政経連合総研 総研レポート第76号より)
◆秘密結社タイプか、梁山泊タイプか…◆
秘密結社タイプは、カリスマ的な首領のもとに、その手足となる部下が集まっている組織で、新撰組や土佐勤王党が、これに近い。
梁山泊タイプは、豪傑や英雄、達人らを糾合していく組織であり、佐藤一斎の林塾や、吉田松陰の松下村塾がそれに近かろう。
どちらが優れているかは一概に言えないが、中心に立つ者が力量を持ったワンマンなら前者、器の大きい親分タイプなら後者になると思われる。
実際には、両者が混合されている場合が多い。私は、どちらのタイプも好きである。(9月3日)