縦横十字のマトリクス表を、もう一度頭に浮かべてください。左上(2)の表観+客観タイプに「道徳家」が、右下(4)の裏観+主観タイプに「宗教家」がきます。道徳と宗教は、どちらも「人の生き方」を教えていますから似ていると思われがちですが、左上と右下という対極に位置する分、明らかな違いがあります。
道徳は、善悪に基づいて人を裁くことを基本としています。客観で出来事を冷静に分析し、表観でそれが「善いか悪いか」を判定します。
一方宗教は、神仏の加護を信じ切ることを基本としています。主観で神仏の力を感じ取って感激し、裏観でその「目に見えない世界」を肯定します。また、裏観で出来事の奥にある原因や理由を見通し、主観でその意味を感じ取って人を許します。
社会問題に対して、いつも憤ってばかりいる人は、まさに左上(2)タイプに相当します。いわゆる○○警察などと呼ばれて人を裁いてばかりいる人が、このタイプになります。
また、何らかの過ちを犯した人に対して、それを容認して許せる器のある人は右下(4)タイプとなります。人に対して優しさと包容力のある人は、裏観+主観による右下(4)タイプの性格をよく持っている人と言えましょう。
源氏の武将・熊谷直実は、一ノ谷の合戦で自分の息子ほど年若き敵将・平敦盛を討ちました。直実は多くの敵兵を殺めなければならなかった武士の境遇を懺悔し、法然上人に救いを求めます。上人は、ただひたすら念仏(南無阿弥陀仏)を上げれば、殺めた者たちの供養となり、また自分も極楽往生が叶うということを告げます。直美は溢れる涙を流し、上人に帰依しました。この法然上人の導きが「許し」にあたるものです。
裁きと許し、これらは時と場、相手と状況に応じて、上手に調合しながら用いるべきことだと思います。(続く)