◇場・質・量・時などが合っているかどうか◇
また、バランスを取るには、時間や空間を考慮することも大切です。
場・質・量・時などが合っているかどうかです。
場であれば、そこに相応しい態度や言葉というものがあります。
儀礼を重んじる場なのか、くだけた雰囲気のほうが似合う場なのかによって、参加者は服装や言葉遣いを選びます。部屋に飾る花や絵、掛け軸もそうです。季節の変化や陰陽の調和を考慮しつつ、空間全体に命を吹き込む飾り方や生け方が、自ずとあるのです。
◇場・質・量・時などが合っているかどうか◇
また、バランスを取るには、時間や空間を考慮することも大切です。
場・質・量・時などが合っているかどうかです。
場であれば、そこに相応しい態度や言葉というものがあります。
儀礼を重んじる場なのか、くだけた雰囲気のほうが似合う場なのかによって、参加者は服装や言葉遣いを選びます。部屋に飾る花や絵、掛け軸もそうです。季節の変化や陰陽の調和を考慮しつつ、空間全体に命を吹き込む飾り方や生け方が、自ずとあるのです。
◇美しさはバランスの中にある◇
さて、多様なものが連係化し、さらに一体化へ進みますと、そこにバランスの取れた美しさが生まれます。自然であれば、空と海、山と谷、森林と湖沼、大地と河川などが形成する美しさ。それが見事であるほど、一段と陰陽の調和が取れております。
◇いろいろなものに満たされることが進化◇
正しさとは何なのか。それを考察する上での対象として、大きいところから言えば宇宙を外すわけにはまいりません。宇宙進化に適っているかどうか。それが、正しさの第一の基準になるということです。大宇宙は絶えず動いており、生成発展しています。活動によって進化するほど、宇宙は多様化・連係化・一体化していまいります。
◇人為の多くは部分観に陥っている◇
老子は、表面的な「人為」を大変嫌いました。人為とは「人が為すこと」で、人間にとっての便利さや、自分の都合を優先する行為がそれに含まれます。その多くは部分観に陥っており、人間にとっては楽だが自然環境を酷く損なうとか、自分中心過ぎて周囲に迷惑が及ぶといった現象が起きます。
◇禍の隣に福がおり、福の脇に禍が隠れている◇
続いて老子は「禍には福が寄り添っており、福には禍が潜んでいる」と語ります。禍(わざわい)と福は常に隣り合わせで、禍の中に福があり、福の中にも禍があるというのです。確かに、他人から見たら禍に見えても、当人にとっては幸せということがあるでしょうし、端から見れば福に見える生活なのに、実際は問題が多くて不幸せということもあります。
◇町明察に取り締まるだけでは、別の問題が起こってしまう◇
「悶悶」としてしまう政治の例として、暴力団対策があります。ただ明察に取り締まるだけでは、別の問題が起こってしまうようです。恐ろしい悪事を働く暴力団を放っておいていいはずがありませんし、取り締まらねばならないのは当然なのですが、単純に団体を壊滅させれば済むというものでもないとのこと。
◇政治には、温かさや湿り気が必要◇
政治は公明正大で、是は是、非は非というふうに、竹を割ったように分かり易いのがいい。そう思うのは当たり前です。ところが老子は、一般的な常識に逆らった見解を出してきます。テキパキ課題を処理していく「察察」とした明快な政治よりも、「悶悶」たる政治、則ち悶(もだ)え苦しむほどの政治のほうが好ましい。そのほうが人々は「淳淳」としていられると。
◇世の中全体に莫大な損失をもたらした「奇物」◇
第五十七章の解説を続けます。「人に技巧が多くなると、奇物が益々起こる」と。
「技巧」それ自体は大切なことであるものの、その技術が人類の進化にとって本当に必要なものかどうかです。
天地自然の原理である「道」に則っているならば、自然も人も喜べる技巧となるでしょうが、道に外れ、全体にとって悪影響があるとなると困ります。
◇仕事と名の付くものを行うのは本当に大変◇
何事であれ、仕事と名の付くものを行うのは本当に大変なことです。
嫌なことを我慢しなければなりませんし、嫌いな人を相手にしなければいけません。休みたいときに休めませんし、自分を騙し騙しノルマをこなしていかねばなりません。スポーツが仕事であれば、プロになるほど身体に無理が掛かり、引退の頃には体がガタガタになっていたりもします。
◇閉塞感に満ちた政治を、根底から変えるときが来ている◇
老子が言う「あれこれ手出しをしないで、放っておく政治がいい」という考え方。これは、地方分権の理念にも当てはまると思います。政治の東京一極集中を脱し、権限を思い切って地方に移して、その自立を図るというのが地方分権の目的です。