◇決してかき混ぜたりせず、じっと待つのがコツ◇
筆者の父親の趣味は釣りです。地元遠州の川で、よくハヤを沢山釣ってきました。ハヤは小魚ですから、調理の際、頭を切ったり骨を抜いたりするわけにはいかず、鱗も取りません。
◇決してかき混ぜたりせず、じっと待つのがコツ◇
筆者の父親の趣味は釣りです。地元遠州の川で、よくハヤを沢山釣ってきました。ハヤは小魚ですから、調理の際、頭を切ったり骨を抜いたりするわけにはいかず、鱗も取りません。
◇放っておくのが一番という無為の政治◇
あれこれ手を出すより、放っておくのが一番。規制は可能な限り無くす、補助もどうしても必要なときだけに減らす。老子は、そういう無為の政治を理想としました。第六十章にも、その精神を表した言葉が出てきます。
「大国を治むるは、小鮮(しょうせん)を烹(に)るがごとし」という一文がそれです。「小鮮」は小魚、「烹る」は煮ると同義で、小魚を煮るときは、つついてばかりいないで、よく煮えるまでじっくり待ちなさいという意味です。政治も同じで、放っておけば自ずと上手くいくと。
◇何事であれ「因」が「果」をもたらす◇
どんな結果にも、元になる原因があります。何事であれ「因」が「果」をもたらすのであり、これを因果の法則と言います。
幕末志士たちの活躍という「果」にも、彼らを育てた「因」がありました。
江戸期の教育がそれで、知・情・意が見事に揃っていたのです。「知」では蘭学や洋学が、世界の中の日本という大局観を与えました。「情」では国学や神道が、日本人が持つべき熱誠を養いました。「意」では朱子学や陽明学、あるいは武士道が、“革命家”として生きていく上での覚悟を導きました。
◇心を込めたことに対して、人はつつましくなる◇
「つつましさ」について、もう一言述べておきます。「つつましさ」の原文は「嗇(しょく)」で、これは「麦を倉に収めて外に出さない」という様子を表した漢字です。そこからケチという意味が出てくるのですが、決して悪いことではなく、浪費しない、無駄をしないという「物を生かす」精神を表しています。
◇つつましい倹約が政治の基本◇
それでは、第五十九章の解説をします。つつましい倹約が政治の基本であり、倹約は天地自然の原理に従うことでもある。それが徳であり、徳を積めば無限となる。無限となれば、国を永遠に保つことが出来ると述べられています。
◇松下幸之助翁の無税国家論◇
『老子』第五十九章には、無駄や浪費に対する注意が述べられています。
倹約によって、国は永続するのだと。
松下幸之助翁の主張に、有名な「無税国家論」がありました。予算を全部使い切らないで積み立てていき、蓄積したお金を運用する。それによる利益を予算にあてれば税金が減り、やがて無税国家になるという説です。無税どころか、お金が余れば、さらに「収益分配国家」にもなるという案でした。
◇これからの文明は、地球と人類が一体となった「綜合文明」◇
共生文明は融合文明であり、全体文明、綜合文明とも言えます。東西の融合文明として、地球全体を綜合的に生成発展させるのが共生文明です。
人類の生活と活動が、地球全体にとってどうなのか。今ほど、それを考えねばならないときはありません。天・地・水に対して、人が調和する文明を創造するのです。
◇人は、何が正しいかについて迷うもの◇
人は、何が正しいかについて迷います。正しいと思ってしたことが裏目に出たり、考えとは裏腹なことが起こったりするからです。老子は、そういう人間の苦悩を見透かしていました。「人間が迷うようになった日からまことに久しい」と。
◇一本道を貫くのが正義◇
「正」という漢字は、一つに止(とど)まると書きます。大切な一を守って、そこに止まるという意味です。また、別の解釈によれば正は丁+止であり、丁はテイ(→セイ)という読み(発音)を、止は足を表すとのこと。こちらの場合は、真っ直ぐ歩くという意味になります。いずれにしても、信念を守って二心(ふたごころ)を抱いたりせず、一つの道を堂々と進む様子を示したのが正の漢字です。
◇登場する神々の名は全て大和言葉◇
バランスを取るには時間や空間を考慮することが大切で、場・質・量・時などが合っているかどうかを考えよということの続きです。時においては、過去を生かし、未来を創造するものであるかどうかという点が重要です。
先人が大切にしてきたものを、どれだけ受け継いでいるか。伝統精神や伝統文化を継承する母体である「文化生態系」が、しっかりしているほど過去(マヘ)と現代(イマ)のバランスが高まります。従って、正しい国柄ということになります。神話が否定され、伝統が損なわれ、基底文化が薄くなった状態が、国として正しい姿であるとは到底思えません。