四元論を述べるときに外してならないのが「四観」です。四観は、「主観」「客観」「表観」「裏観」の四つの観方のことです。これらが融合されますと、四元論としての綜合的観方が形成されます。
景色や花などを見たときに、それを美しいと感じるのは主観の働きです。「見」は網膜に映った段階に過ぎず、それを「綺麗だな」と心で観るのが主観です。文化や芸術は、主観をよく働かせることで、それまで無かったものが創造されます。
四元論を述べるときに外してならないのが「四観」です。四観は、「主観」「客観」「表観」「裏観」の四つの観方のことです。これらが融合されますと、四元論としての綜合的観方が形成されます。
景色や花などを見たときに、それを美しいと感じるのは主観の働きです。「見」は網膜に映った段階に過ぎず、それを「綺麗だな」と心で観るのが主観です。文化や芸術は、主観をよく働かせることで、それまで無かったものが創造されます。
この四元論を用いますと、今までいかに二者択一思考に囚われていたかに気付かされます。どれほど勉強しても、基盤が二元論のままでは、結局部分観から抜け出すことが出来ません。知識が増えれば増えるほど、思考が断片的になってしまう恐れがあります。
もともと四元論は、王陽明解説の「大学三綱領」を、分かり易く説明するために図示したのがきっかけでした。そのときの文を、そのままご紹介します。29歳頃の文章ですから、稚拙であることはご勘弁ください。
「陽明学と志」 林 英臣
それから、公智・公愚・私愚・私智の「智」を「得」に、「愚」を「損」に置き換えてみてください。そうしますと、さらに理解が進むと思います。
マトリックスの右上が「公得」、左上が「公損」、左下が「私損」、右下が「私得」となります。
明治以来の教育は、国民を平均化させる性格を持ちました。近代国家建設のため、国民の資質・能力を揃える必要があったのです。
そして、この平均化教育と西欧的な個人主義が相俟って、自己中心的な私愚タイプや私智タイプが増えてしまいました。
しかし、希望はあります。公智タイプは基本的にどの国でも尊敬されており、教育において目指すべき方向であることに間違いはないからです。
公智・公愚・私愚・私智の四元論の補足です。
左上(2)の公愚タイプは、人物が萎縮し易いことに注意しましょう。せっかく公の精神を持っているのですから、もしも公正さを妨げる出来事が起こったり、不正を働く人を見たりしたら、もっと憤るべきです。
則天武后撰『臣軌』の内容を元に四元図を描き、右上が(1)の公智タイプ、左上が(2)の公愚タイプ、左下が(3)の私愚タイプ、右下が(4)の私智タイプであるということを述べました。
これら四タイプに、個々に学んで貰いたい事柄があります。ここは大事なところですので、それぞれの性格と注意事項について、再度述べながら説明していきます。
チャイナに存在した、唯一の女帝が則天武后(武則天)です。唐の高宗の皇后であった則天は、皇帝の病中に政務を執り、その死後に即位した実子二人(中宗と睿宗)を廃して帝位に就きました。
この則天の撰による『臣軌』という本があります。臣軌とは、臣下が持つべき軌法、即ち皇帝に仕える者の心得のことです。
筆者の子供の頃、少女漫画の中に出てくる主人公の女の子は、父親が会社員で、さほど裕福ではない家庭に育ち、性格はとても善良、勉強はそこそこに出来るというタイプが一般的であったと記憶しています。それに対し、主人公を虐(いじ)める性悪(しょうわる)な子は、事業家か何かの金持ちの娘で、贅沢でワガママという設定でした。
◆四元論と四観◆
綜學の実践編の続きとして、今度は「四元論」を述べます。四元論は、二元論の行き詰まりを打開するための哲学であり、綜學の「ものの見方」の基本となる思考法です。物事を四つに分ける四元の思考だから、「四元思考」とも呼びます。この四元論を、いろいろな場面で生かして頂くことが、綜學の大切な実践となります。
漢方では身体と精神を分離しない。怒り過ぎると「肝」を、喜び過ぎると「心」を、思い込み過ぎると「脾」を、悲しみ過ぎると「肺」を、恐れ過ぎると「腎」を悪くすると述べましたが、このことは経験的に何となくお分かり頂けるものと思います。
肝臓にはアルコールを分解する機能がありますが、怒りのストレス解消のために深酒すれば肝を悪くします。あまりにも嬉しいことの後で、ほどなく亡くなる人が出るというのは、感極まって心臓がショックを受けたせいかも知れません。