◇家が大きくて部屋数が多ければ、その分、物が増えるだけ◇
さらに老子は、「其の(自然の)食べ物を美味しいとし、其の(質素な)服を美しいとし、其の(粗末な)住居に安んじ、其の(素朴な)習俗を楽しむ」と語ります。
連載
No.76 民族の共生によって、世界の和合が進むことを心から望む
◇共感力のある相手がいれば、人は幸せになれる◇
なお「人の十倍・百倍も優れた器量の者」の原文は「什伯之器」で、これには「様々な機械や道具」、「沢山の武器」、あるいは「什」を十人の一隊、「伯」を百人の一隊と捉えて「軍隊」という解釈もあります。いずれにしても、機械や武器、軍隊という文明の発達に伴う「利器」が「小国寡民」にあっては「不用」となるのですから、原始共産的な村落共同体がイメージされることに違いはありません。
No.75 かつて日本は、聖人のムラであり君子のクニであった
※前回(その74)の下記の文を訂正致します。
訂正前「また、クニのクは組む、括るのクで結合を、ニは煮る、似る、握るのニで段々一つにまとまっていく様子(一様)を表します。則ちクニは「長い時間を掛けて一様に結合した共同体」というわけです。」
No.74 ムラとクニは日本的共同体
◇人が集まれば、それをまとめる統治機構が必要となる◇
圧政に苦しむ人民を救おうと思うあまり、政治権力や国家そのものを否定する思想が起こりました。無政府主義(アナーキズム)がそれで、政府や国家さえ無くなれば、人々を苦しめる覇者、残忍な梟雄(きょうゆう)や、悪賢い奸雄(かんゆう)が出なくなると考えたのです。
No.73 権力者が不要の社会!?
◇原始共産的な村落共同体◇
《老子・第八十章》
「小さな国家と少ない人民、そこに人の十倍・百倍も優れた器量の者がいても用いられないようにする。民には命を大切にし、遠くに移住しないようにさせる。舟や輿(こし)があっても之に乗る必要が無く、鎧と武器があっても之を並べる必要が無い。
NO.72 1万人を動かすには、100人掌握している人を100人獲得せよ
◇選挙に頼らない民主政治がある◇
幸せは仕合わせです。人生を共にし、互いに必要とし合い、生かし合う。そういう絆が無ければ、生きる喜びが湧いてきません。結局、人間の幸福というものは、自分を分かってくれる人たちと共に活動したり、一緒に生活したりするところから生まれてくるのだと思います。
No.71 分かり合える人数は100人
◇小国寡民(小さな国と少ない民)◇
理想の社会は、「小国寡民(小さな国と少ない民)。それが『老子』第八十章の結論です。人口は多ければ多いほど出会いが広がり、お互いの可能性が高まるものと考えている人にとって、この小国寡民は、あまりにも消極的な社会観に思えてしまいます。しかし、意味も無く老子が思想を語ることはありません。
No.70 人間にとって理想的な社会の規模とは
◇知人に出会って驚くか、知らない人を見て驚くか◇
東京や大阪などの大都会の中で知人に出会うと、その偶然に大変驚いてしまいます。「こんなところで会うなんて、本当にびっくりしました。どこに知り合いがいるか分からないのですから、やはり悪いことは出来ませんね」などと挨拶をすることになります。
No.69 長い目で見て、徳のある者のほうが伸びていく
◇あるがままの働きを生かせば、自然原理として上手くいく◇
天は「常に(徳のある)善人に味方する」。この善人の「善」は、温順で整った様子を表す「羊」と、問答を示す「言言」が組み合わさった漢字(会意文字)です。美しい言葉を話し、筋の通った行いをするのが善人で、天はそういう徳を積む者の味方になるというのです。