物事が始まろうとするときを機先(きせん)といい、それを敵味方のどちらが制すかで勝敗の流れが決まります。機先を制するとは、先手を取って主導権を握るということです。『孫子』軍争篇では、軍争則ち「両軍の交争」の心得として、敵の機先を制すことの重要性を説いています。
必要になるのは、やはり情報です。「諸侯の謀計を知らなければ、事前に外交交渉をすることは出来」ません。謀計とは、狙いとしている腹の内のことであり、それを読み取らねば事態は前に進まないのです。
物事が始まろうとするときを機先(きせん)といい、それを敵味方のどちらが制すかで勝敗の流れが決まります。機先を制するとは、先手を取って主導権を握るということです。『孫子』軍争篇では、軍争則ち「両軍の交争」の心得として、敵の機先を制すことの重要性を説いています。
必要になるのは、やはり情報です。「諸侯の謀計を知らなければ、事前に外交交渉をすることは出来」ません。謀計とは、狙いとしている腹の内のことであり、それを読み取らねば事態は前に進まないのです。
戦国武将の武田信玄は、「風林火山」の旗印で有名です。風林火山は『孫子』軍争篇から採用されたものであり、信玄も孫子の兵法をしっかり学んでいたことが分かります。信玄の軍学は正と奇、静と動の組み合わせと、その運用に眼目がありました。
若き日の徳川家康は、三方原の合戦で信玄に大敗します。信玄は、家康が籠城する浜松城を素通りする素振りを見せて徴発し、まんまとおびき出して打ち破りました。孫子の教える「兵は詭道なり」の手法で見事に家康を欺き、心理戦に勝利したのです。
集団で活動する場合、全体が一個の生命体のようにまとまる必要があります。戦闘なら尚更で、全軍が単なる個人の寄せ集めというのでは全然ダメです。しっかりした活動体にならないと、個々の兵士は優れているのに、全体的に見たら少しも勝っていないという事態に陥ります。
特に、休息と補給の重要性が分かっていない組織は最悪です。スポーツ競技で考えれば、延長戦があったとしても時間制限があり、試合が終われば両軍とも引き上げて、後は宿舎に戻って休息と栄養補給に専念出来ます。それによって、また次戦に臨めます。
いよいよ戦場で両軍が交わるとき、お互い相手の機先を制し、少しでも有利な地を得ようとします。それを「交争」といい、交争が上手くいけば有利な地を得られますが、下手な場合は「危険」な地しか得られません。
もしも将軍が交争を焦り、戦果を上げようとして力み、勢いを起こすために全軍を一気に投入すれば、どうしても大部隊の移動となります。大部隊が動く場合、まさに物資輸送部隊が重荷となって動きを鈍らせ、その後れが全軍の後れとなってしまいます。それならば、装備を捨てて身軽になって進軍すればいいかというと、今度は「動きの遅い物資輸送部隊」が取り残されてしまい、武器や食糧の補給が追い付かなくなります。
戦争というものは、鎧(よろい)を着込んで武器を手にした、兵士たちだけで行われるものではありません。軍隊には、必ず物資や武器、食糧などを運ぶ部隊がいます。それを輜重隊(しちょうたい)や兵站部(へいたんぶ)と言い、後方にあって輸送・補給などの重要な任務を司り、前線部隊を支援するための生命線を作っています。
いかにして先手を取るか。機先を制するための争いを「軍争」と言い、その心得を教えているのが「軍争篇」です。
《孫子・軍争篇その一》
「孫子は語った。およそ用兵の手順は、将軍が命令を君主から受け、軍を統合して兵を集め、両軍が相対して布陣するのだが、そこから両軍が交争することほど難しいものは無い。
両軍が交争することの難しさは、迂回を直行と為し、患難を有利と為すところにある。そこで、その道を迂回しながら、相手を利益で誘い、人より後れて出発しながら、人より先に着くのだ。これが「迂直(うちょく)の計」を知る者(の方法)である。」
この世界のあらゆるものが、変化し活動しています。止まっているように見える山々も、造山活動によって動いています。小は量子や原子から、大は太陽系や銀河系に至るまで、一切が活発に動いているのです。この変化活動こそ大宇宙の本質であり、動くことによって一切が進化発展していくわけです。
固定化されない生き生きした組織を、水の姿から学ぶという話の続きです。その一例に、時と場に応じたプロジェクトチームの編成があると述べましたが、もっと持続する組織を起こす際の要件について補足しておきます。
それは、生命体をお手本とする組織をつくる際に必要な条件のことです。そもそも水は生命の源であり、水に学べば自ずと生命体をお手本とすることになります。
「水に定まった形は無い」ように、優れた戦闘集団には固定化された動きがありません。その固定化されないで動ける集団に何が必要かというと、潮の変わり目といった流れの変化を読み取る観察眼と、それに応じて活動出来る機動力です。前者を指導者が持ち、後者が組織に備われば、きっと柔軟な動きが可能となるでしょう。
老子も、水の性質を誉め称えています。「上善(最高の善)は水の如し」と語り、水の持つ真の強さを尊びました(『老子』第八章)。
水は万物を養う元として有り難がられる存在でありながら、他と高さを争い合うことはなく、誰もが嫌う低いところに位置しています。いつも低いところへ向かうことから、その一徹な姿勢が信じられます。