武士の勢力が各地で争い合い、60年近くにわたって朝廷が二つに分かれて対立した、南北朝(なんぼくちょう)という時代がありました。その南朝最初の天皇となったのが後醍醐天皇(ごだいごてんのう)です。とても大変な時代でしたが、天皇は国民を思いやる御製(ぎょせい)を詠(よ)まれました。
こども日本学
No.60 夜の寒さにも、国民を心配された後鳥羽天皇
仁徳天皇は、「君は国民が本」であり、「一人でも飢えたり凍(こご)えたりしていたら、ただちに反省(はんせい)」すると言われました。このご精神は、本当に民本主義そのものです。
そして、これは仁徳天皇お一人の御心(みこころ)ではありません。ご歴代(れきだい)の天皇が、祖先から受け継いだ日本国を守ろうとされ、国民を大御宝(おほ(お)みたから)と呼んで慈(いつく)しんで下さいました。
No.59 国民が貧しければ、天皇である私が貧しいということになる
さて、仁徳7年になりました。すべての税金をやめてから3年が過ぎています。
仁徳天皇は、また高台に登られました。遠くまでご覧になったところ、今度はたくさんの竈(かまど)の煙が上がっています。
No.58 今から3年間、すべての税金をやめます!
2 神武天皇のご詔勅と民本主義
◆神武天皇は徹底した民本主義者
初代の天皇である神武天皇は、皇居(こうきょ)である橿原(かしはら)の宮を建立(こんりゅう)されるにあたって、ご詔勅(しょうちょく、天皇のお言葉)をお出しになりました。
No.57 力ずくの覇道、徳の王道、その上をいく皇道
1 ご神勅(しんちょく)と民本主義
すでに二度述べたように、天照大御神のご神勅(神様のお言葉)に次のようなお言葉がありました。
「葦(あし、水辺に生える草)が生い茂り、生き生きした稲穂(いなほ)が永遠に実る国こそ、私の子孫が王となる地です。我が孫よ、行って治めなさい。さあ行きなさい。天皇(てんのう)の位が受け継がれて栄えることは、天地と一緒で終わることがありません。」
No.56 水のないところに水の問題が、食べ物のないところに食の問題が起こる
第6章 民本主義(みんぽんしゅぎ、国民が根本という考え方)
現在の世界は、民本主義という思想で成り立っています。民本主義は、国民を根本とする考え方のことです。
社会に新しく登場した新人(しんじん)は、この新しい思想に驚き、乗り遅れてはいけないと感じました。そして新人たちは、日本の思想界も民本主義にしなければならないと叫んでいます。
No.55 心臓を健全にすれば、手足も全身も健康になる
そして、隣の国である支那(しな、チャイナと同じで中国のこと)をご覧ください。昔は立派な時代がありましたが、現在(大正時代頃)の支那は中心が定まらず、常に人民は、恐れと不安を感じながら生活している状態です。その原因は、中心に向かって一つにまとまっていないところにあります。
No.54 個々に立派になるだけではダメ
さて、こういう意見もあるでしょう。「それぞれ個人が立派になって活躍すればいいだけのこと。そうすれば社会も国家も、結果として発展し充実(じゅうじつ、中身が満ちているようす)していく」と。この意見は、誤解(ごかい)を招きやすい言葉です。間違った考え方が、そこに流れております。
No.53 中心確立によって全体が安定し、国民は幸福になっていく
中心確立と総幸福(中心をしっかり立てれば、みんなが幸せになる)
物質的なことも精神的なことも、安定しているほど悩みは小さくなり、人は幸せになっていきます。
では、安定するにはどうしたらいいかというと、やはり中心の確立が必要です。まず中心があって、それがしっかり立っており、さらに不動(ふどう)となれば全体が安定します。
No.52 中心の確立は自然の法則であり、国家が成り立つ根本
中心を確立(かくりつ、しっかり立つこと)させることは、自然の法則(ほうそく、きまりや原則)です。会社であれ、学校であれ、家庭であれ、自分自身であれ、その存在を成り立たせ、成長・繁栄させる根本が中心の確立にあります。